取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

2021年良かった本

 年の暮れであるので、簡単にだが振り返り。
 2021年に刊行されたという訳ではなく、専らただ単に私がこの2021年に読んだ中で良かったもの、という独断の括りであり、そもそも私自身そんなに数を読む方ではないので母数も少なく、読者諸氏の参考にはならないであろうこと請け合いだが、読んで後悔はしないものに絞られていることは自信を持って断言する。

ジョーゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』

 万邦の神話や神話化した歴史的伝承の数々を、その原形としてある普遍的な宇宙理解・人間の生き方に着目しながら紐解く古典。昨今あらゆる仕方で物語として結実している作品群も、その真髄や起源は神話にあることが窺える。非常に難解なのは間違いないのだが、意味深長で観念的ながらも芳醇な土の匂いがする表現が頻出し、そういった文語を好む人間にとっては極めて上質な快楽も得られる。

ナナ・クワメ・アジェイ・ブレニヤー『フライデー・ブラック』

 詳細は以前の記事を参照されたし。資本主義的生活と暴力の不可分な関係に、小説という形式を存分に活かして切り込んでいる新進気鋭の意欲作。

新庄耕『ニューカルマ』

 同作家の『狭小邸宅』も同じくらい良かったが、そちらは以前記事ひとつ使って書いたので割愛。『ニューカルマ』の方が作家の技術も向上しており、より精神を削られる作品に仕上がっていて消耗したが、マルチビジネスの闇を変に露悪的にしたり非難したりせずに飽くまで写実的に描いているのが素晴らしい。
 古い知人がマルチや新興宗教に手を染めた時、私達はすぐに彼らを忌避し早め早めに連絡を絶つ。しかしネットワークビジネスやマルチはピュアな人間がストレス過重になった時のシェルター的役割も持っており、実際にそれで救われたり成長したりする人も多く、違法性もない。では私達がそれらを遠ざける時、本当は何を遠ざけているのかという話になる。自分達と同根である筈の苦しみを、楽で有害な仕方で処理したように見える人々への嫌悪感だろうか。小説を読むだけでは答えは見えないが、それほどに重要な問題を取り扱っていると思う。

ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』

 ひょっとすると自分の中で、小説分野におけるオールタイムベストかもしれない。生の軽さと重さ。再生不可能な一回性に縛られた人間の生の中で、軽い人間と重い人間に人は分かたれ、更には時に軽くなれば時に重くなることもある。溺れる程に深い思考と共に二組の大人の男女の恋愛が語られており、その恋愛は決して美しい代物ではない(特にトマーシュの性豪振りはなかなかのものだ)のだが、反してその語られ方は並外れて潔癖、デリケートに響き、特に終局は絹のように滑らかで美しい。全然咀嚼しきれてないので来年もう一度じっくり読み直し、今後も折に触れて読めたら良い。

土居健郎『「甘え」の構造』

 心理学専攻だった友人に門外漢でも読める心理学の良書は無いかと尋ねたら、これを教えてもらった。ほんのつい先日に読了。1971年初版発行ということもあって随所に時代感の隔たりを感じるが、それでも十分現代に通じるどころか、現代日本の病理を正確に言い当てている予言的な書。日本人の根底には、幼児が母親に甘える時のような、厚意ある他人と同一化しようとする「甘え」の精神が古来からあり、日本人の精神的特徴はほぼ「甘え」概念によって説明することができる、というのが大意だが、実に説得力がありスケールも大きくて面白かった。人間の甘えを理想化し、支配制度として確立させたのが天皇制であるという発想も成程腑に落ちるものがあるし、戦後その支配制度が崩壊し、欧米的な自由の概念が輸入されたことで天皇制的な道徳権威が失墜した日本の動揺も、「甘え」概念を経由することで理解しやすく有機的に読めた。
 現在、日本では「厚意ある他者」どころか、主としてビジネスの文脈で創出されたような存在に一体化を働きかけ、それに対して時間や金銭を目いっぱいに注ぐことで偏愛を表現し、それによって外発的な自己充足を図る「推し活」などという愚鈍な行為が大衆や邪悪なメディアから無責任に持て囃され、どんどん自己の希釈が助長されている。本書ではこのような現代の具体的な事情については当然書かれていない訳だが、これは明らかに甘えの心理に起因するものと言っていいように思う。
 そして第5章最終節『子供の世紀』で言及されている「世代間境界の喪失」という現代の傾向は、加速度的に進行していると言って間違いない。いや、進行、と書いたがマクロな視点から見れば逆も言えると私見する。そもそも「子ども」という発達段階が発見されたのは近代であり、この子どもと大人を区別する革新的な発想は時間をかけて現代の教育制度にしっかり根付いてきた筈だが、近頃はこれが逆行して子どもと大人の区別がぼやけ、子どものような大人、大人のような子どもが激増している。これは個人の時代が到来したことによって就職というイニシエーションの重要性・汎用性が薄まったことが一因ではなかろうか。自分は子どものような大人ではない、と断ずることさえ悲しいかな出来ないが、このような事態はやはり「甘え」の動揺が招いた悲劇であり、打破すべき日本の腫瘍であると私は思わずにはいられない。

ホメロスイリアス

 こういう記事でこういう本を挙げる仕草は我ながらいけ好かないと思いつつ、今まさに読んでいるので発破掛けも兼ねて。ギリシア神話のちょっとした愛好家であるのに『イリアス』を読んでいないのは言語道断だと前々から後ろめたく思っていたため、意を決して購入し、11月あたりからのろのろと読み進めて漸く上巻の2/3程度まで辿り着いたところである。
 骨は折れるが、やはり次元の違う面白さだ。神々は傲岸不遜だがユーモラスであり、戦士たちやその女たちも、皆それぞれの立場に翻弄されながらも己が矜持と使命感に燃えていて、言うまでもないが超弩級のオールスター歴史ロマン。なんとか上半期までには読み終えたい。



 特筆するのはこんなところかな。今年も相変わらずあまり量を読めなかったし、下半期は執筆活動も滞ってしまったのが悔やまれるが、まあ私生活の方では結構な転機となった1年であるので良しとする。
 ただ、私は学徒でも何でもないので結局のところ道楽(と少しの義務感)で本を読んでいるとはいえ、それでも一応は学生時代の専門であったところの倫理学の本でさえ今年はほとんど読めず、そこは情けない限りだ。来年は最低限読みたいと思う。
 あとは新刊小説ももうちょっと情報追って読めたら良いね。ずっと楽しみにしていた『同志少女~』はこの年始に読む予定。


 なお、最後に挙げた2冊『「甘え」の構造』と『イリアス』を平行して読む過程で、奇しくも自分のパーソナリティーへの大きな気づきが発生した。
 私は人のあり方として、古代ギリシア的な個人の自律と名誉感覚の方に(主観的には)強く真善美を見出しており、ゆえにその対極に位置すると思われる現代日本的な共鳴と依存感覚による自己規定の仕方には必然的に嫌悪感を抱かずにいられない性分であるものの、生まれてこの方日本人女性としての生活にどっぷり浸かっているために、骨の髄まで日本人女性的性質が染み込んでいる上、その価値観にも一定の実利や徳を認めているがゆえに、個人として振り切ることが出来ないでいる。そのため自分の内部で理想と現実のコンフリクトが生じていると考えられる。
 言葉にしてしまえば日本人あるあるのコンフリクトであり、その葛藤を解消したいとも別に思わないが、ここ最近で鮮明に見えてきた像であるので、自分のために書き残しておく。しかし、ギリシア神話と日本神話には親和(ダジャレではない)性が見受けられるのが個人的には面白いところだ。


 年の瀬から憑りつかれたように『ハデス』をやっている。傑作ゲームなのでおすすめだ。思えば昨年末も憑りつかれたように同じくギリシア神話が舞台の洋ゲーイモータルズ』をやっていたので、1年置きにギリシア神話の良作ゲームが出るという恵まれた情勢にある訳だ。欲を言えばこうした真面目でかっこいいデザインの日本神話ゲームが国産で欲しいところだが。大神とかやってみようかな。
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 来年もジャンル問わず手を出して貪欲に自分の糧とする。