取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

教育に良いお友達

「〇〇(私)と遊ぶって言ったらお母さん喜ぶから」
 友達にそう言われる子どもだった。成績優秀で品行方正(笑)、学級委員はやらないがクラスの班長程度は引き受ける保守的加減。保護者ウケが悪い筈がない。

 自分が優等生であり優等生気質であることは、小学校低学年くらいのかなり早くから知っていた。勉強をはじめ何をやらせても他の子達より数段上手くこなせたし、周りの子達がこんなに何もできないことに何か不整合があるような気さえした。あまりにも私に都合が良すぎて、この世には私しか本当の意味で存在していないんじゃないかな、なんて不気味な想像に夢中になったこともある。

 これには相対的要因もある。というのも私の周りの子達はあまり賢くなかった。中学まで田舎の公立だったため、勉学の出来不出来によるシビアな選抜なんてないも同然で、むしろ勉強が出来ると根暗ガリ勉として同級生から距離を置かれた。私はそれが不満でしかも臆病者だったので、自分は勉強はできるけどガリ勉ではないということを周囲に示唆するムーブメントを定期的に取りたがった。人並み以上にゲームや漫画を嗜んでいたり、お笑い番組もよく見ていたり、オシャレに興味があったりすることをわかってほしくて躍起になった。馬鹿にすんなと言いたかったのだ。

 友達のことは好きだった。友達選びは慎重にすべしというのは人が物心ついてすぐにも学ぶ鉄則だ。私も子どもなりによく考えて友達選び・友達付き合いをしたので、何回かの粗末な喧嘩イベントを挟みつつも友達とは概ね良好にやっていた。特に仲の良い2、3人とはよくお互いの家で遊んだり、ショッピングモールに買い物に行ったり、公園でキャッチボールしたりした。友達のことを私が好きで、友達も私のことを好きだからという単純な親交だと思っていた。

 けれども実際のところ、きっとそれだけではなかっただろう。
「うちのお母さん、〇〇(私)と遊ぶって言うと大喜びするんだよね」とか、こういう言葉を聞いたのは一度や二度ではない。私は根っからシャイで口も上手くないが、それでも友達の家に遊びに行くと決まってどの母親達からも熱烈に歓迎された。めちゃくちゃ茶菓子を出されるし、やたらと家まで送りたがる。保護者のネットワークから伝え聞くのか知らないが、私は「教育に良いお友達」だった。あわよくば娘もこの子に感化されて真面目に勉強してくれたらいいし、とにかくこの子と仲良くさせとけば安心だという安牌の子ども。つまり私の友達は私と遊ぶことを親から後押しされていた筈だ。とはいえ「私と遊べば親が喜ぶ」という私の道具的価値は、友達が私と一緒にいる理由のほんの一要素でしかないであろうし、友達からそう言われた時も別に嬉しくも悲しくもなかったが、成程そういう親の視点もあったのか、と目が開かれた覚えがある。

 現物の私も確かに教育に良かった。口が曲がっても素直とは評しがたい性格だったが、勉強教えてと言われたら応えたし、図らずも保護者ウケが悪いものは大概嫌いだったので人を堕落に誘うことはなかった。当時流行っていたケータイ小説のことは「チンパンジーが読むもの」と軽蔑していたし、ネット黎明期と発情期が重なって色気づいた同級生達が他校や高校、果ては謎のおじさんとネットで知り合っていろいろなことを済ませ始めていることを知るたび毎回吐き気を催していた。

 教育に悪い友達。その子と遊ぶのを親が止めるような友達。ネットで出会った謎のおじさんだかお兄さんだかと刹那的な関係に至っちゃう奴は教育に悪い。そこまであからさまじゃなくても、学校を休みがちとか、いじめっ子・いじめられっ子のグループに属してるとか、制服をだらしなく着てるとか、極端に頭が悪いとか、家庭環境が荒んでるとか、頭はいいけど校舎裏で猫殺してますとか(これは激ヤバ)。総じて教育に悪い。自分の子どもがそういう子と仲良くし始めたら、親として心配になるのは無理もない。

 口ではどうとでも言えるが、結局人間というのは本能的に差別的であり、自分の種に関する態度において特にそれが顕著になると思う。全くもって、動物らしく。思想というのは「自分がどう生きるか」よりも、「自分の子どもにどう生きてほしいか」に色濃く反映される気がする。他人がする分には勝手にすればいいと思っても、もし自分の子どもが初音ミクと結婚するなどと言い出したら、私は耐えられない。私には子どもなどいないが、想像するだけで苦しくなる。それはやはり私が「初音ミクと結婚する」という生き方を心底気味悪いと差別しているからだ。

 物心ついてから学生時代が終わるまで、私は教育に悪いお友達であったことがない。私はいつも教育に良かった。テストの点はいつも学年1だがそれをひけらかすことはなく、運動も美術もそつなくこなし、学級のいじめや諍いには参加せず、浮ついた噂もない。
 教育に悪い子など小中学校には掃いて捨てる程にいた。クラスメイトをトイレに閉じ込める奴とか、帰り道おもむろに腕まくりしてリストカットの跡を見せてくる奴とか、授業中に突然「自殺する!」と言い出して窓に走る奴とか、裏掲示板に誰と誰が付き合ってるか書き込む奴とか、性行為の図をノートに描いて目の前に広げてくる奴とか、『恋空』を読んで号泣してる奴とか。私には彼らが自分とあまりに違いすぎる生き物に見えて不思議だった。彼らから受けた仕打ちに酷く悩まされたこともある。人間がなぜこんな生き物に成長するのかわからない。だって私はずっと良い子だからだ。それも特段振りをしていた訳でも抑圧されていた訳でもなく、ごく自然な流れで優等生になったのだ。だって勉強ができない人達が好むもののほとんど全て、私には良いと思えないのだ。どうしても。

 しかし高校受験以降、そういう奴らはぱったりと目の前から姿を消して、私の周りの人達はどんどん私に似た優等生が増えていった。中学の人達の話など、たまに会う当時の友達からのタレコミであの子が妊娠で退学したとか、少年院に入れられたとか、自殺したとか、そういう最大レベルのショッキングな事件しか耳に入ってこないようになったし、話を聞く頻度だって年々減って、もう誰が誰だか覚えてやしないし、覚えてなくても支障も何もひとつもない。
いまや私の周囲はどんどん高学歴化し、人格的にもソフィスティケイトされている。交流のある人間は全員漏れなく大卒であり、だいたいみんな行儀よく、だいたいみんな斜に構えてる。私はそういう人が好きだし、そういう人に長年囲まれて生きているので、もうそういう人としか上手く親交を築けないような気もする。

 だが今でもたまに思うのだ。小中学時代の教育に悪いあいつらは、私にとって何だったのだろうと。5年前の地元の成人式で久々に彼らと一同に会した時、彼らは相変わらず教育に悪かった。悪いというのは言い方が悪いが、言い換えれば下等教育のにおいの中にいたのだ。不良が更生していたとかそういうことは勿論ある。キャラクターの陰陽に拘わらず年月の経過によって幼児性は治るし、丸くなったりもしている筈だ。しかし彼らを一瞥しただけで、私と彼らが未だ一向に交わらない舞台に立っており、そこを隔てる壁はむしろますます分厚くなっていることが一瞬で分かった。式後に有志の二次会があったらしいが、私が出られる筈はない。何にも話すことはないのだ。

 今でもごくまれに中学時代の人間からFacebookの友達申請が来て、私は承認せず放置するのだが、彼らのプロフィールは見てしまう。アイコンをタップしてスマホ画面一杯に表示された彼らの顔をぼーっと眺めて、やっぱり無理だ、と眉をひそめる。

 私にとって彼らはいったい何だろう。高校に入ってからは「生まれてこの方豊かな家庭で英才教育受けてきました」みたいなお坊ちゃんやお嬢様にも初めて出会い、こういう人と話すとその温室育ち加減に私は妙に薄ら寒い思いがしたものだ。彼らは皆教師に異常に好意的で、教師が授業中たいして面白くもない冗談を言ったりしても、心から楽しそうにどっと笑った。中学時代に生徒からの嫌がらせでどんどん衰弱しハゲていった教師を知っていた私としてはこれは驚くべきことで、何だか馬鹿々々しくてたまらず、こういう人達をあの教育に悪い奴らの中にぶち込んで思い知らせてやりたいな、なんてことを時々考えた。私は田舎の無法地帯に身を置いた経験のある優等生だが、彼らは最初からずっと健全な優等生に囲まれて育った優等生であり、その違いが私には決定的に感じられたのだ。この人達が知らないヤバイ人間達が世の中にはうじゃうじゃいるんだぞと教えてやりたかった。自分自身は結局優等生のくせに。笑い話だ。彼らこそ私に対して同じことを思っていたはずだ。

 趣味としてアングラな物語に触れるのはずっと好きだ。小説でも漫画でもゲームでも。ネット見ててもインテリ論客みたいなのよりはもっと社会の奥隅にいる人達の生活の声の方がずっと面白く思う。そこにはあの「教育に悪いお友達」の影響があるのかもしれない。
 しかし私自身は大人になっても未だもって極めて優等生的な人生を歩み、極めて優等生的な人付き合いをしている。多分子どもができても子どもには優等生であってほしいと望むと思う。Facebookの申請は無視するし、帰省しても同級生が働いていそうな区域には近づかない。

 では私にとって「教育に悪いお友達」は、多様性を学ぶためのサンプルでしかなかったろうか。考え出すと否定したくなる。私は彼らのこともちゃんと人間として見ていたし、彼らだって当然人間として尊重すべきだし、どこか憧れていたところもあるし、理解できなくても受け入れようと、あるいは受け入れられなくても理解しようと努力すべきだし…。しかし思えば思う程、却って全てが裏打ちになるような気がするのだ。結局娯楽としてしか喉元を通っていってくれない。

 小中学時代の奇人のうち何人かは病名を持っていたことを、私は卒業後に知った。卒業前に知っていたら彼らに対する私の認識は何か変わったろうか。変わった方が良かったろうか。現在の私の周囲には健常者しか存在しない。まるで「滅菌」されたかのよう。彼らはどこにいるのだろうか。今の私には見えないが、どこかにいるのははっきりわかる。見えないことは問題だろうか。見に行くために動かなければならないだろうか。自分の生活を差し置いて、どうしてそこまでしなければならない。あっちだって私の側に来ないのに。
 私と彼らは勉強ができるできないでここまで隔てられたのか、それともDNAや生育環境はたまた内面性の違いで次第に道を分かったのか、恐らくそれら全てなのだ。鶏が先か卵が先かという話じゃないが。

 多様性を尊重しようというスローガンの下に、よく価値観のアップデートなどという寝言を唱える連中がいる。そもそも価値観などという出来合いの言葉が私は嫌いだが、もしそんなものがあるとして、それを自分や時代の変化に合わせてアップデートすることが是とされるのはふざけてる。世界認識というものはアップデートするものではなく広げるもの、深めるものだ。いつだって揺らぐ人間の揺らぎを認める時に、どうしてそんな無機質なことが言えるのか。そんなにアップデートがしたければ、一生Windowsアップデートでもしていればいい。そうすればアップデートというのがどんなものか身をもって理解するだろう。

 縁などとっくに断絶された顔のない中学時代の人間が、今も私の夢枕に立つ。自分が優等生であり温室育ちであることが突然恥ずかしくなることがある。多様性のグラデーションの中で私と離れて立っている彼らのことを私は普段忘れているが、忘れていても立っているのだ。姿を手を変え品を変え。