取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

虚構日記・起床編

 雨の音で目が覚めた。消し忘れた部屋の灯りで視神経が擦り潰される感じがする。ごそごそと枕元のスマホを見ると午前6時も回っておらず、こんな明け方に起きたのは随分と久しぶりでどうしたものか頭が冴えない。昨晩はやや早く25時過ぎに寝ついてしまったのでそのために早く起きたのだろうが、自分の体にそんなメカニックな正確さがあるのは幾分意外だ。腹を開けば内臓から血だらけの時限装置が出てきたりして、これが本当の内臓装置ってな。まあ寝ぼけている。
 体の熱を落ち着けて、ひとまずそのままTwitterを開いて見るがタイムラインに知り合いは誰もおらずbotだけが規則的なアルゴリズムツイートを放流している。しかし人間の呟きがないからと言って人間が起きてないとは限らない。いまこの瞬間にも友人が自分と同じく雨の音で望まぬ覚醒をさせられ時間を持て余している可能性は大いにある。それこそ同じように誰もいないタイムラインを更新してくさくさしているかもしれない。しかしそれは確認できない。
 朝早く起きると三文の徳をもぎ取らねば割りに合わないように思える。ひとまず体を起こし普段は取らない朝食を取ろうと米を研ぎ炊飯する。この時期の米研ぎを素手でやると指が凍てつき痙攣するので、代わりに泡立て器を使うのが吉だと以前誰かに教えてもらった。はて誰だったか。デンプンを吸って白く濁った研ぎ汁を三回繰り返し流している間、少し目をぱちくりさせて考えてみる。が、思い出す必要もないだろう、いま自分は泡立て器で米を研げている。
 ベッドに戻り再びスマホをこねくり回すが特に面白い情報はない。畢竟SNSというのは既存の知人の投稿以外は正直目を通す価値がない。しかし何度もその結論に至っておいてそれでも毎日こうして自ら邪悪で理想主義的な放言を求めタップと検索、見知らぬ他人のホーム画面を覗いて「ははあ成る程」と意地悪く合点するのを繰り返している僕こそ価値がないかもしれない。ほとぼりが醒めたら青空文庫のビューワーアプリを起動して読む。このところ一日一篇、坂口安吾を読み直している。とはいえ別に大層な日課ではなく、坂口安吾には『堕落論』はじめ20分弱で読める随筆やら評論やらが膨大にあるので目についたそれらをテキトーに選んで読んでいる。時間も決めていないし欠かすこともある。同じ無頼派太宰治のような派手さはないが、その分だけ堅固な精悍さみたいなものが感じられて好きな作家だ。ただ読み直していると自分が頭で思っていたよりはろくでもない人物かもしれないとそろそろ認めざるを得なくなってきた。憧れの作家を無意識のうちで美化する性行が僕にも多少あったらしい、いや、それか僕がこの人のろくでもなさをより深く理解できる程ある意味成長しある意味堕落したのかもわからない。いずれにせよ未だ好きな作家であることに相違はないが、やはり特定の作家に心酔するのは相応の均衡感覚が前提にないと危険であるという持論が補強される思いだ。太宰治の『恥』を読んだ時は「こいつなんて悪い奴だ」と苦虫噛み潰したものだが、実際男性作家に恍惚とする奴なんてのは、男も女も世間知らずで自惚れが強く、危ない奴と相場が決まっている。あの小説には本当のことが書かれてる。
 一篇読み終えて一息つき、それでもまだ7時にもならない。特に頭も冴えてこないし、寝るか。家を出ねばならない時間はまだ暫く先だ。僕には酷い夜更かし癖があるが元来ショートスリーパーな訳ではなく、寝るのは大好きだ。繊細で文学的な男どもはよく自らの不眠を隙あらば語り、なぜか同時に生きることの苦しさなども併せて小難しく述べたがるが、可哀想なことだ。つべこべ御託なんかを垂れず、さっさと電気を消して寝りゃいいんだ、と僕は思う。あいつら、ほんとに眠れないんだろうか? 寝転がって体を横向けた状態で、詰まらない本でも読み始めりゃ一発ですぐにでも寝れるってのにな。別に本じゃなくたって、お前らやお仲間がしたり顔で書いてるブログやらnoteやらTwitterやらの小粋でアイロニカルな駄文でだっていいんだぜ。きっと詰まらないから僕ならそれでぐーすか寝れる。…でも、寝れないのだろうな。理解しかねるが、まあそういう人もいるってことだ。眠りたくても眠れないというのは辛いだろう。きっと体がおかしくなる。だが、体がおかしくなった奴が偉いって訳でもない。僕は寝るのが一等好きで、今日みたいに冬の底みたいに寒い日に重たい布団に押し潰されてる時以上の幸せな時間は他に無いとも思ってる。窓を打ち付ける雨の音が相変わらず五月蝿いがそんなもので入眠を妨げられる程ナイーブでもない。
 電気を消してみる。既に朝日は昇っているので消灯しても窓から薄い光が漏れて部屋は明るい。心なしか小鳥も鳴いてる。朝ぼらけの優雅な就寝だ。次に起きる時は出勤の時で、その時にはさっき炊き始めた飯も炊き上がってほかほかし、僕に食われるのを待ってるだろう。雨も止んでいるかもしれない。いつもの朝の支度をして玄関扉を開け、僕は行くべき場所へ足を向けるだろう。
 目を瞑る。さっき読んだ短編、何が言いたいのかよくわからなかったな。わかるような気もするのだが。女体への男の執着の話だったと思うが、違うかもしれない。書いた本人すらその辺りをぼかしているどころか、わかっていない気がする。こういうことは多い。整理されてないものを整理されぬまま文字として吐き出されたものを読まされた。そういう時は自分の頭までしっちゃかめっちゃかに、泡立て器で研がれる米みたいに不本意に掻き回される。あの感覚は、賛否はあるだろうが、まあそんなに悪いものでもない。自分としては。寝る前にはやはり同性の、男のああいう悶々たる吐露を読むのが、いい感じに眠くなる。モヤモヤはするが、しすぎることもなく馬鹿馬鹿しくて、昏倒直前に読むものとしてはまあ……。丁度いい。







 起きた。寝坊した訳ではないが覚醒後も布団の中で焦れったくしているうちに時間が過ぎた。リミットが来ると遺憾な気分でムクリ起き上がり、着るべきシャツを物干し竿からひったくって袖を通し、歯をガリガリ磨けば、今日の分のマスクを装着して外に出る。雨はまだ降っている。電車に乗って働きに出て、平生通りのようで平生通りなど二度とない業務雑務を万事こなし、いや、いくらかは持ち越し、必要に迫られて雨の中を二度往復させられたりして……時間経過……20時頃にはカードを通して退勤する。
 長雨はまだ止まず、新調して間もないこの革靴も今日一日で酷く汚れた。帰路、黒く濡れた人気のない道を歩きながら、ぬかるんだ頭に今朝のことが初めて思い出されてくる。そう言えば今日は早起きしていた。
 部屋の外ではあらゆることが発生している。しかし雨がどれだけ激しく降ろうが、窓の中には侵入できない。あの部屋、僕のこれから帰るたった一つの僕の部屋では、炊き上がった米が食われることなくただ温められたまま、生き物みたいに僕の帰りを待っている。
 一日に三度夜が明ける。夕飯は外食しなくて済んだ。