取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

弓削達『地中海世界』

 

 古代ギリシア古代ローマを「地中海世界」としてひと繋ぎに追う本。ゆえにかなり駆け足だし、著者のメイン研究域であろう帝政ローマに入るまでだいぶ文章が淡泊なので、元々ある程度の興味と知識がないとキツいかもしれない。ていうか私もきキツかった。ただ本書の語りの要となる「公・私有地のコントロール」という視座には一貫してかなり力点を置いて述べられているので、細部はともかく大局的な理解は捗った。

 

キリスト教初期の迫害は、教徒がキリスト教を信じたことでなく彼らが伝統的なローマ宗教の供儀行為を行わなかったことが本質的な問題であり、厳密に言えば彼らは棄教を命じられたのではなく供儀を命ぜられたのだ、…ていうのは目から鱗

 

そして帝政ローマの歴史家タキトゥスが自身の岳父でありローマ帝国内の一総督であるアグリコラのことを書いた箇所の記述が印象的。

 

 アグリコラは(中略)ついに兵をひきいてカレドニアスコットランド)に侵入する。この攻撃を前に、カレドニアの諸部族はカルガクスという指導者を中心に大同団結し、三万以上の者が戦場に集まった。決戦を前にしてカルガクスが全軍を叱咤した演説として、タキトゥスは長い文章を添えている。

 まずカルガクスは、カレドニア人こそローマの専制政治によって汚されていない「自由と独立の最後の生き残り」だと指摘し、しかしこの秘境も今や危険になったとしてローマ人の侵略を次のように描く。「この地球の掠奪者ども(ローマ人)は、あらん限り荒らしまわって、土地がなくなると海を探し始めた。……もう東方の世界も、西方の世界も、ローマ人を満足させることが出来ないのだ。全人類の中で、やつらだけが、世界の財貨を求めると同じ熱情でもって、世界の窮乏を欲している。かれらは破壊と殺毅と掠奪を、偽って支配と呼び、荒涼たる世界を作り上げたとき、それをごま化して平和と名づける」。われわれカレドニア人の「愛する者らが、ローマの課す徴兵制度で奪われ、……妻や姉妹は、かれらの情欲によって……汚されている」。

弓削達地中海世界』p.150

 

この自由と独立のための叫びが放つ雷のような正当性に対して、ローマ側の演説は実に貧弱で自己弁護的だと言う。ローマの最盛期はパックス=ロマーナとか五賢帝時代とかいうさも泰平の世であったかのような言葉で飾り立てられるが、平和とは支配であり、支配とは破壊であり略奪であり、過酷な現実の隠蔽であると。

 

やっぱりローマは面白いな。どっちかと言うと自分の興味はギリシア寄りだったけど、息が長い巨大な政府というのもいいね。プリニウス(漫画)でも読み直そうかな。