取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

『ヒストリエ』における人間と英雄の対比

最近、岩明均の『ヒストリエ』を一気読みした。

岩明均作品は数年前に寄生獣を読んだくらいだったのだが、舞台が古代ギリシアだと聞いて『ヒストリエ』にも興味を持ち軽い気持ちで読んでみたら、これが面白いこと面白いこと…。ここ5年で読んだ漫画の中で断トツ1番面白かった。

 

 

ヒストリエ(1) (アフタヌーンコミックス)

ヒストリエ(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 

という訳で、興奮冷めやらぬうちに感想とちょっとした考察を残しておきたい。ネタバレだらけなので未読の人は要注意。

 

 

あらすじ

物語は古代マケドニアアレクサンドロスに仕えた書記官・エウメネスが主人公。彼はギリシアの一都市国家カルディアの実力者ヒエロニュモス家の次男として悠々自適に育てられた好奇心旺盛な子供だったが、ある事件をきっかけに自分がギリシア人でもヒエロニュモスの息子でもなく、奴隷身分の異民族スキタイ人であることが暴かれる。高貴な身分が一転、奴隷にまで落ちて故郷カルディアからも離れ、少年時代を漂流先の小村で過ごした。しかし結局はその村にも居られなくなり、今度は自由民としてカルディアに帰郷したところ、その頭脳をマケドニア王フィリッポスに買われ、以来マケドニアに身を寄せて王国内部の権力闘争に呑み込まれていく。

 

ヒストリエ』は1~5巻くらいまでかけてエウメネスマケドニア側の人間になる過程を描いており、(まあちょっと時間かけすぎだろとは思うんだけど)これが非常に丁寧かつ巧みに組み立てられていて面白い。

エウメネスが史実に名を残しているのはどこまでも「アレクサンドロス大王の書記官」としてであり、プルタルコスの『対比列伝』のエウメネスの章を読んでも書記官登用以前のことなどほとんど言及されておらず、せいぜい「マケドニア人ではない」とか「フィリッポスがカルディアで見初めた」とか「祖国を追われた」くらいの記述がさらっと書かれているだけだ。その無味乾燥な断片からよくここまでパンチと説得力のある話を広げられたものだ。しかもその5巻分の半生も決して間延びしたものではなくドラマチックかつ現実的だし、その上で全てのコマ、全ての台詞がその後のシナリオに繋がってくる一貫性がある。

 

6巻以降はマケドニア内部の群像劇が描かれ、これも素晴らしいのだが、中でも特にアレクサンドロスの描写が圧巻。白黒の漫画の中で、彼だけ発光して見えるのだ。

f:id:cotton100percent:20191222232358p:plain

f:id:cotton100percent:20191222232627p:plain

『あずみ』の主人公あずみも似たような感覚を起こさせた。黒い点と線しかないはずの漫画のコマの中で、一人だけ浮き出たように透き通って見える。

アレクサンドロスというのは歴史上類を見ない程の大英雄・大征服者であり、彼を記述する資料も膨大に派生しているため、一個の人格に収めて説明するのが非常に難しい人物。だから彼を物語に登場させる作り手は彼をどのように描くかに一番頭を悩ませると思うが、『ヒストリエ』のアレクサンドロスは筆舌に尽くしがたく魅力的に仕上げられている。

 

ただ、『ヒストリエ』におけるアレクサンドロスって明らかにエウメネスと対比される存在として描かれているように思う。史実としてのエウメネスを考えると彼の人生におけるアレクサンドロスの比重は大きすぎるので、『ヒストリエ』でも恐らくアレクサンドロスがキャラクターとして二番手に来る筈だ。だからこそ、アレクサンドロスエウメネスという鏡を通して幾重にも反射するように設計されている。実際二人を照らし合わせてみると共通点と相違点がいくつも見つかるし、しかもそれらは物語を象徴するような分岐になっていることがよくわかる。

ヒストリエ』には既に詳細かつ専門的な考察記事がいくつもあるが、この二人の比較に絞った考察はまだ見つけていない(あったらすみません)ので、今回ここでまとめたい。先に言っておくと私の古代ギリシアマケドニア周辺の知識は「ちょっと古代ギリシア好きな一般人」レベルなので、間違いや粗削りな部分もあると思うが、そこはご容赦頂きたい。

 

外見について

境遇や内面を語る前に風貌について一応言及しておく。

 

f:id:cotton100percent:20200106211637p:plain   f:id:cotton100percent:20191222235708p:plain

左(9巻表紙)がエウメネスで右(6巻表紙)がアレクサンドロス

どちらも端正なイケメンということは同じだが、エウメネスは主人公顔というか岩明均顔というか、読者である我々が投影しやすい顔立ちをしている。スキタイ人の顔貌の特徴はわからないが、とりあえず黒髪短髪で平ためのアジア顔。
対してアレクサンドロスは金髪にオッドアイ、左目に蛇型の痣という、かなり奇天烈なデザイン。『ヒストリエ』の登場人物は基本的に派手さのない落ち着いた容貌をしているから、漫画全体を通してもアレクサンドロスの見た目が一番奇抜と言っていいだろう。金髪はともかくオッドアイは一見「おいおい盛りすぎだろ」って思うけど、実際にアレクサンドロス虹彩異色症だったという伝承が残っているので、岩明均のオリジナリティーは寧ろ蛇型の痣にある。『ヒストリエ』では初っ端から蛇がキーワードとして明示され、これはアレクサンドロスとその母オリュンピアスに関わってくる。

あと前髪が真ん中分けで中央の毛が逆立っている、というのもアレクサンドロス像の象徴的な特徴だ。プルタルコスではアレクサンドロスがライオンの気性を持っているとされており、それから派生して大王の彫像はライオンのように中央の毛を逆立てて作られることが多く、この特徴は大王像であるかどうかのチェックポイントにもなった。『ヒストリエ』でもこれが忠実に再現されている。

 

二人の不義の子

エウメネスアレクサンドロスの共通点として真っ先に出てくるのは、「父親の子供ではない」という点。

エウメネスは物語でなぞらえた通り、実際はカルディアの名家ヒエロニュモス家とは何の血縁関係もない、遊牧騎馬民族スキタイの生まれである。だから不義の子って言うのもホントは違うんだけど…。ヒエロニュモスが奴隷獲得のために赴いた遠征先で見つけたスキタイ一家の子供がエウメネスであり、その時家族が惨殺されても顔色ひとつ買えなかったエウメネスの瞳に英雄の精神を見出したヒエロニュモスが、思い付きで彼を引き取ったのだ。

エウメネスはそんな自分の出生の秘密を知る由もなく豊かに育つが、彼と同じスキタイ人の奴隷がカルディアで殺戮事件を起こしたことに乗じて、故ヒエロニュモスの部下ヘカタイオスが秘密を暴露。エウメネスは自分の生まれに衝撃を受けるとともに、今までずっと家の者に騙されていたことに大きなショックを覚える。一気に奴隷にまで転落し、奴隷としての「教育」まで受けて一時は精神をねじ伏せられる。

f:id:cotton100percent:20191223003843p:plain

ヒストリエ』2巻 p.163

 

ただその後奴隷として有力者に売られるのだが、運よく(?)買い手が死亡し、辺境の村(ボアの村)に漂着してすぐ自由の身に。その地で同年代の少年少女との友情・恋情も経験し、村が侵攻される危機まで救って逞しく生きる。故郷カルディアに帰った時には自分の出生へのコンプレックスなど(元から薄いが)消え失せ、因縁のヘカタイオスにも一泡吹かせて返り咲く。

 

一方、アレクサンドロスが不義の子であるということは、作中で明言こそされていないもののかなり強烈に示唆されている。7巻においてアレクサンドロス幼年時代の記憶が描かれるのだが、そこで幼き日のアレクサンドロスは、母オリュンピアスが見知らぬ男と裸で部屋にいる場面を目撃している。この見知らぬ男というのが、有名なポンペイのモザイク画のアレクサンドロス像そのままの顔をしているのだ。

f:id:cotton100percent:20191223191358p:plain

ヒストリエ』7巻 pp.26-27

 

f:id:cotton100percent:20191223192440p:plain

ポンペイの壁画『愛馬ブケパロスに騎乗したアレクサンドロス

つまり『ヒストリエ』におけるアレクサンドロスはフィリッポスではなくこの謎の男の血を引いた庶子で間違いない。この男の素性は不明だが、台詞からするとマケドニア人ではないし、バルバロイ…特にペルシア人だったりしないかなと私は勝手に予想しているが、いずれにせよ彼の身元はかなり重要な要素なので今後明らかにされると思う。

そしてこの男は、我が子に情事を目撃されてしまったオリュンピアスの言い逃れのための自作自演に巻き込まれ、アレクサンドロスの目の前で首を一刀両断されて、非常にあっけない且つグロテスクな死を遂げる。アレクサンドロスは母の演技に丸め込まれながらも、心のどこかで「今殺された男は自分の実の父親なのではないか」と勘付いている。しかし信じたくない。幼い体の中でせめぎ合い藻掻く感情が、彼の中にもう一つの人格を生み出す。それがヘファイスティオンであり、以後彼はアレクサンドロスとヘファイスティオンという二人の人格が同居した問題含みの王子となるのだ。

 

エウメネスアレクサンドロスはどちらも名声ある父の実子ではないという秘密を抱えており、しかもその出生の秘密を知ったタイミングもわりと近い。どちらも年齢ははっきりわからないが、見た目からしエウメネスは多分10歳くらいで、アレクサンドロスは6-7歳くらいで出自の秘密を知ることになる。

ただエウメネスの場合は公衆の面前で暴露され、アレクサンドロスの場合は彼の個人的な経験の中でひっそり察知した。この違いはかなり大きい。エウメネスはこの暴露によって身分を剥奪されて奴隷としての辛酸を舐めさせられるが、逆に言えば周知の事実になってしまったが故に、バルバロイとして開き直ることもしやすかった。実際、ボアの村での生活を経てカルディアに帰国する頃には「俺はここから始まる。英雄オデュッセウスの冒険だってトロイア戦争後に始まったんだ」なんて言ってもう完全に出自のことなど受け入れて、楽観的に逞しく今後を見据えている。

一方アレクサンドロスの出自は秘密のままだ。彼は現状第一位の王子であるし、武勇にも恵まれ機知も豊かな次期王として周囲からも一目置かれている。フィリッポスは彼が自分の子ではないことを知ってそうだが、そのフィリッポスだってアレクサンドロスの才能を買っているのだから、順当に行けば王位継承は間違いなく、今更出自への疑念を自分から曝け出しても自分の立場を脅かすだけ。要するに彼は一生この秘密を身の内に抱え込まねばならないのだ。このことが彼の内面にどれだけ黒い影を落とすかは、想像に難くない。

ヘファイスティオンというのは史実ではアレクサンドロスの一蓮托生の愛人であり、大した武勲はなくアレクサンドロスとの個人的な繋がりだけで歴史に名を残している。この二人の関係はかなり濃密だったそうで、アリストテレスが二人のことを「二つの体に一つの魂」と評したという逸話まで残っている。『ヒストリエ』ではこれを「一つの体に二つの魂」に変えた訳だ。実際ヘファイスティオンの出自は文献でもあまり見えてこないし、いくら同性愛が盛んな古代ギリシアと言えどアレクサンドロスのヘファイスティオンへの妄執はちょっと普通じゃなさそうなレベルなので、岩明均が彼らを二重人格設定にしたのもそんなに突飛な発想ではないと思える程だ。

アレクサンドロスが苦悩するとヘファイスティオンが現れる。実在のヘファイスティオンはアレクサンドロス死亡の1年前に死ぬので、『ヒストリエ』のヘファイスティオンも多分そうだろう。つまりアレクサンドロスは死ぬ直前まで出生の秘密に藻掻き苦しむんじゃないかということだ。

f:id:cotton100percent:20191223202231p:plain

ヒストリエ』7巻 p.4

母親のトラウマ

 エウメネスは出生を暴露される以前から、実の母親の朧気な記憶に囚われている。ヒエロニュモスの遠征隊が自分の家族を惨殺した時の記憶がぼんやりと頭の中に残っており、特に最後に母が殺された場面を何度も何度も夢に見ている。母親がスキタイ流の華麗な手さばきで遠征隊を切りつけなぎ倒していくも、子ども(エウメネス)が人質にとられたことに気づくとぴたと身動きを止め、敢え無く殺され死体を侵略されるその様を…。エウメネス自身はそれが自分が現に目にした母親の死の記憶だということに長らく気づかないが、物心つかない子どもだった当時の彼の深い悲しみと衝撃がずっと体に残っているのだ。

自分の出自を知ると同時に、エウメネスはあの記憶の中の女性こそが自分の本当の母親だったことを悟る。母親含め家族に関する思い出は他に残っていないし、母に対する愛情を今更掘り起こせる訳でもないが、あの寂しい夢の説明がついたことでエウメネスアイデンティティーは強化されたはずだし、自分を生かした母親への感謝と慈しみも覚えただろう。

 

 アレクサンドロスにも前述した通りの母親のトラウマがある。アレクサンドロスの実父が母オリュンピアスに首チョンパされる場面は、もう気持ち悪すぎて画像を載せられない程に衝撃的であり、幼いアレクサンドロスがあれを目の当たりにしてトラウマにならない訳がないし、事実この事件によるアレクサンドロスの行き場のない動揺がヘファイスティオンを爆誕させた。

しかも、オリュンピアスはまだまだ健在。母が生きている以上、あの事件について口外することは尚更許されない。マケドニア王国は一夫多妻であり、長子相続の決まりもなかったから、王の子供のうち誰が次の王になるのかについて定型はない。それゆえ女王は自分の子どもを王にするために奮闘し、当然子どもも自身が王になるため母親と結託する。つまり宮廷における母と子は一心同体みたいなものだったのだ。アレクサンドロスだって、いや寧ろアレクサンドロスこそ母と強い結びつきがあったはずだし、庶子であるとなれば余計に母親との結託が必要になる。トラウマを植え付けた張本人である母親と手を取って王宮内の権力闘争を駆け抜けなければいけない負荷が、現在進行でアレクサンドロスにのしかかっていくのだ。

 

親が子に英雄を見る

先に述べたようにエウメネスは故ヒエロニュモスに見出されて彼の子として引き取られた。それは幼い子どもが自分の親を目の前で惨殺されても泣きもせず、声を荒げもせず、ただぼうっと現場を見据えている姿が、人間離れした英雄の姿のように見えたからだ。ヒエロニュモスはこの思想に憑りつかれてエウメネスを自分の子同様大切に育て、実際エウメネスは容姿端麗、博学才穎に成長する。

古代ギリシアにおける英雄というのは神と人間の間に生まれた者を指し、有名なヘラクレスアキレウスなどが該当する。神話と実生活が地続きにあったギリシアにおいて英雄という謳い文句は決して絵空事なんかではなかったし、父ヒエロニュモスも本気でエウメネスを英雄と信じたがったのだろう。

ただエウメネスは人間であり、一人のスキタイ人であって、それ以上でも以下でもない。ヒエロニュモスの家に迎えられた直後の幼いエウメネスが、家の奥さんであるテレシラの前で初めて涙を見せるシーンがある。

f:id:cotton100percent:20191223213954p:plain

ヒストリエ』2巻 p.213

f:id:cotton100percent:20191223214142p:plain

ヒストリエ』2巻 pp.214-5

この場面、現在までの『ヒストリエ』全編を通して1、2を争うくらい好きなシーンだ。エウメネスは母親の死体を見て平然としていた訳ではなく…本当は英雄なんかではなく、母親に似た女性を前にして堪えていた涙が溢れ出してしまうような、普通の人間の子供なのだ。そして、その涙を見てハッと彼を抱きしめ、この子の母になろうと決意する女性。彼女だけはエウメネスが英雄なんかではない普通の子供だとはっきり理解し、その上で自分の子供として彼を育てた。父ヒエロニュモスのように、英雄だから育てた訳じゃないのだ。彼女の愛情はエウメネスにも伝わっていた。

 

一方アレクサンドロスは逆とも言える。何が逆かと言うと、エウメネスにおいては育ての父が彼の英雄性を信じ、育ての母が彼を人間として慈しんだのに対して、アレクサンドロスにおいては父王フィリッポスが彼を人間として扱い、母オリュンピアスが息子の英雄説を誇大妄想しているのだ。

まあ何と言ってもアレクサンドロスは王子なので、生まれにはいろんな箔がついている。実際の出自はどうあれ、父王フィリッポスは英雄ヘラクレスの子孫と謳われていたし、母は母でアキレウスの末裔とされる一族の生まれであって、両者から生まれた(とされる)アレクサンドロスは二人の英雄の系譜にある。母オリュンピアスはこのことをアレクサンドロスの誇りとして幼年期から教育するし、野心に燃えた策略家である彼女は自分の息子こそがフィリッポスを踏み越える存在だと確信し、王位継承のためならいくらでも手を汚し排他的な手段も駆使する。また狂信的なオルペウス教信者でもあり、『ヒストリエ』でもベッドに蛇を侍らして寝ている。アレクサンドロスのちょっと電波の入った性格は明らかに母譲りである。

ただ当のフィリッポス王の英雄神話への視線は現実的だ。彼は政治戦略としてヘラクレスの子孫という謂われを利用しているが、神々のアハハウフフな世界には明らかに興味がなさそうで、息子アレクサンドロスホメロスの英雄譚「イリアス」に夢中になっているのを軽くいなすような場面もある。

f:id:cotton100percent:20191223222239p:plain

ヒストリエ』6巻 p.86

現にエウメネスはフィリッポスのことを単眼の巨人キュクロプスに例えており、これはまあフィリッポスが隻眼というのもあるだろうが、要は彼がオリンポスの神々のような優雅で浮世離れしたタイプではなく、寧ろ地にどっしりと足をつけた怪物のような迫力ある男だということを表現している。何にせよフィリッポスはアレクサンドロスのことを神話と血続きの英雄だなんて露も思っておらず、ただ次期王の最有力候補として鍛え上げようとしているのだ。

 

エウメネスは父に英雄として期待されていたが、少なくとも母からはただただ純粋な母性という愛情を受けて育った。エウメネスは愛を知っている人間なのだ。

しかしアレクサンドロスはそうではない。父フィリッポスは父親である前に君主であるような人なので、自分のことをまず「王子」という肩書ありきで冷静に見定めているし、母親は…最も自分に単純な愛情を注いでくれておかしくない母親は、生まれた時から自分の後ろに神々と英雄の姿を見ている。オリュンピアスは息子アレクサンドロスのことをかなり偏愛してはいるだろうが、その愛は不純物に塗れていて、彼女自身の野望とないまぜにされて蠢いているので、アレクサンドロスは柔らかな愛というものをついぞ受けてはいないだろう。『ヒストリエ』では多分そういった母性的な愛を初めて彼に与える存在としてバルシネが出てくるんじゃないかなと思うけど、とりあえず現段階ではアレクサンドロスは自分という一個の、身一つの人間に対して向けられるようなあたたかな愛情を知らず、常に王子として、ひいては次期マケドニア王の最有力候補として、「ただの人間以上の存在」というレンズ越しにしか自分を評価されたことがないように思われる。

 

人間と英雄

何が言いたいかというと、つまり『ヒストリエ』においてエウメネスアレクサンドロスの二人は似通った境遇で生まれ育ちながらも、エウメネスは人間を、アレクサンドロスは英雄を象徴する存在として分岐するように描かれている。

異民族の血を引く不義の子で、少年時代に出生の秘密を知り、母親に関するトラウマがあり、両親の片方が自分を英雄視する一方で、もう片方は人間の世界の枠組みで自分を育てた…。彼らの家庭環境はここまで共通しており、これは岩明均が仕組んだ意図的な一致であることは間違いない。しかしこれ程に似た前半生を同じように辿りながらも、彼らのその後の道は綺麗に逆方向に進んでいく。

主人公エウメネスの前半生は5巻までかけて非常に丁寧に描写し尽くされ、彼自身においても内面化されて一旦区切りが出来ている。要するにエウメネスのこの個人的な問題はもう片が付いており、それこそ4巻の終わりでエウメネスは自分のことを憧れの英雄オデュッセウスを引き合いに出して「冒険はここから始まる」と非常に晴れやかな顔で呟いている。彼は今まで自分を翻弄した幾多の苦難を通して、もう自分という人間のことを既に受け入れているし、周囲の人間への感謝の心だって持っているし、人や物事を非常に客観的に判断できる精神の落ち着きも身につけた。自分の存在のちっぽけさも、人の心は弱くあやふやですぐ変形するものだってことも知っている。

オデュッセウスは神話上の英雄で、トロイア戦争という神々の戦争で大活躍した知将だけども、エウメネスが好きなのはトロイア戦争の時の彼ではなく、戦争終結後、故郷を目指して10年間もあらゆる地を漂流し冒険し続けた、泥臭い苦労人としてのオデュッセウスなのだ。

f:id:cotton100percent:20191224203910p:plain

ヒストリエ』4巻 p.156


それに比べてアレクサンドロスの苦悩というのは現在進行形であり、既に述べたように今後さっぱり解消されるようにも思えない。

アレクサンドロスは良く言えば素直、悪く言えばサイコな性格で、しかもトラウマからの防衛反応で生まれた別人格持ちという、有り体に言って非常に「電波」な人物に仕上がっている。母親の影響も多分に受けて神話好きに育ち、戦場には神々がいると頑なに信じている。憧れの人物も、史実通りならきっと英雄アキレウスだろう。トロイア戦争で勇名を馳せその地で死んだ若き英雄アキレウス。勇猛果敢で短命の彼の生き様は華々しく悲劇的で、まさに英雄らしい英雄である。同じホメロスの英雄でも、エウメネスは「オデュッセイア」のオデュッセウスが好きで、アレクサンドロスは「イリアス」のアキレウスが好きなのだ。

 

実在のアレクサンドロスが神々や英雄の世界に憧れていたことについては有名な伝承がいろいろある。彼が東方遠征中に自身の神格化思想に憑りつかれて堕落したというのはよく聞く話だ。古代ギリシアの人々というのは共和政を生み出した自民族に誇りを持っていて、自由民である自分達の個人としての名誉を何より重んじていた。マケドニアだって例外ではなく、王政でこそあれやはりその自由の風土を色濃く持っていて、王族と周囲の者の間にも大きな壁はなく風通しよい関係性だった。アレクサンドロスもこういう風土で生まれ育ったが、東方遠征中に神に導かれたかのような勝利が続いたことや、ペルシアの絶対王政的な秩序立った支配に感化されたこと、そして何より彼の帝国が巨大化しすぎたことで、次第に彼は自身の神格化という愚に陥り、これがギリシア人遠征軍の不満を集めたというのだ。

この単純な神格化ストーリーは現在では勿論様々な反論があるものの、もはやアレクサンドロス像の核として世俗的にどこか定型化されてしまっていて、彼がペルシアの跪拝礼(部下が王にへりくだる仕草をとる宮廷儀礼)をギリシア人にも強要しようとして内部の反発を招いたという象徴的なエピソードなんかは、高校世界史の資料集でも目にした覚えがある。『ヒストリエ』でもこの「神と人間のはざまで揺れるアレクサンドロス」という問題を今後取り扱う筈だし、ここまでで見てきたように今の時点で既に入念な下準備がされている。

詰まるところ『ヒストリエ』は、主人公の「人間」エウメネスの視点から「英雄になろうとする人間」アレクサンドロスを捉える物語であると思うのだ。少なくともそういう一面がある。

 

ただ、アレクサンドロスは人間だ。

確かにアレクサンドロスは既に文武ともに秀でていて、(ちょっとサイコながらも)友情に厚い人格者だし、若くして圧倒的なカリスマ性をも備えた類まれな王子なのだが、決して神からなんて生まれてないし、『ヒストリエ』においては寧ろ庶子ですらあるのだから、岩明均が「神に憧れる、神ならぬ"人間"アレクサンドロス」の歪な姿を描き出そうとしているのは明らかだ。アレクサンドロスを見た一市民にわざわざこんな台詞↓まで言わせてるくらいだし。

f:id:cotton100percent:20191224215013p:plain

ヒストリエ』7巻 p.115

そしてその人間アレクサンドロスの姿は主人公エウメネスの目を通してこそ説得力を持って映し出される。似た境遇を通りながらも安定して健常な精神を持つに至ったエウメネスがいるからこそ、アレクサンドロスのエキセントリックさが眩しく際立つ。

 

エウメネスは「地球の裏側」を見たいのだし、序盤から「文化が違う」がキーワードになっているくらいなのだから絶対にエウメネスアレクサンドロスの東方遠征に随行する筈で、恐らく本来それが『ヒストリエ』の物語のメインディッシュだ。漫画の進行があまりにも丁寧でゆっくり(婉曲表現)だから本当にそこに辿り着くのかって感じだけど、もし順調に行けばその時にこのエウメネスアレクサンドロスの対比がバチンと効いてくるだろう。

 

11巻現在においてのエウメネスはまだ「フィリッポスの有能な書記官」であって、アレクサンドロスとの関わりは薄い。ただもう物語はフィリッポス暗殺とアレクサンドロス即位の前336年を目前に控えており、そこで二人は一気に急接近する筈だ。具体的な展開予想ができるようなヤワな漫画ではないが、この先エウメネスアレクサンドロスという似て非なる二人がどのように料理されるのか楽しみで仕方ない。

 

 

…とはいえ私の感覚では『ヒストリエ』でフィリッポス程のキャラが本当にあっけなく退場するかなあという疑問がある。重要人物である筈のアンディゴノスがまだ本編未登場ということと、序盤でフィリッポスが偽名としてアンディゴノスを名乗っていたこと、そして史実ではフィリッポスとアンディゴノスどちらも隻眼で同年代であるという3点から「フィリッポス=アンティゴノス」としてまだまだ現役で出てくるんじゃないかとも考えている。ただアレクサンドロスでヘファイスティオンとの同一人物ネタを一回やっておいて、またフィリッポスで同じ芸を繰り返すような真似を岩明均がするとも思えない。安易な案だが双子説とか替え玉説とかもちょっと期待している。というのも、あの『ヒストリエ』で急に濃い顔の隻眼のオッサンが二人になって大活躍し始めたら絵面が面白すぎるからだ。まあ面白すぎるからこそ可能性は極めて低いし、詰まるところ結局何も予想できないってことなんだけど…。

 

何はともあれまた一つ人生の楽しみが増えた。この記事で書いた二人の対比も含め、今後の展開が待ち遠しい。