取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

最近読んだマンガ(+α)など

比較的最近に新しく読んだマンガの感想まとめ。メモ程度。

チェンソーマン

面白い。特にレゼ編とか1巻で綺麗にまとまってて凄かったな。フェチや知性を見せつけるような描写にはなんていうか根深い学歴コンプを感じるが、そういう感情を原動力に弾けられる人だとわかる。好きなもの詰め込んでるって意味でも気持ちいいし絵も死ぬほど上手い。デジタル作画丸出しの筆感だけど、太めの線でざくざく描くタッチはまさに油彩出身って感じ。
お気に入りのキャラはコベニちゃん。結構可哀想な目に遭っているのに、本人の性格がそこそこクズだから悲壮感なくコミカルに見れる。女性キャラでこういう立ち位置ってのは意外と珍しい気がする。自分もコベニちゃんみたいな作風を目指したいなんてぼんやり思う。

少年漫画っていうか男性作家の書くヒロインキャラって必要以上に具体的なことがあり、作者の趣味なんだろうなと感じるが、チェンソーマンもそういうのがかなり生々しく伝わってくる。サドで自分勝手な女が好きなんだろうな。ワンピースのナミとか進撃のミカサとかも「俺が考えた最高の女」みたいな意欲をビシビシ感じる。こういう風に女の趣味が読者にモロバレになってることに恥ずかしさ感じたりしないのだろうか。別にいいけど男性作家ってそういうの多い。その最高の女が女性にも支持を得る女か否かが運命の分かれ道だな。


レイリ

岩明均原作ということで興味を持って、本当につい最近、ていうか今日読んだ。冒頭の見開きと語りからいきなり岩明均感満載。ただ台詞がかなり少なく、しかも6巻しかないので一瞬で読める。
悪くはないんだけど、戦国末期という時代設定かつ主人公が女の凄腕剣客、となるとどうしても『あずみ』という大傑作を思い起こさせてしまうので、それと比べるとだいぶ落ちる。私にはレイリの強さの理由が最初からあんまりピンと来なかったため、途中レイリが一人で高天神に駆け付けて易々と徳川家康を捕捉する場面は違和感がすごかった。でも信勝様の最期なんかはやっぱり良いね。親より優れた子どもが自分を疎んだ親を咄嗟に庇って死ぬ、っていうのは、ありきたりだけど何度やられても結局良い。
宿敵である織田信長が天才天才と扱われているのだが、顔のドぎつさ以外で天才振りを感じる場面がなかったのが残念。

関係ないけどあとがきで岩明均が「自らの『ヒストリエ』を全速力で書く合間にシナリオを書いた」と語っていたが、まさか全速力だったとは驚いた。『ヒストリエ』は今一番続きを楽しみにしてる漫画なので是非このまま全速力で描いてほしい。


ヨコハマ買い出し紀行

すごい良かった。ケン=リュウの『もののあはれ』のインスパイア元と聞いて読んでみたけど、確かにものすごくケン=リュウが好きそうな漫画だった。ストーリーがほとんどない淡々とした漫画なので好き嫌いはハッキリ分かれるだろうが私は好きだな。内省的で良い。同系統としたら『ARIA』くらいだろうけど、『ARIA』よりは萌え要素が薄くしっとりしている。
絵も決して書き込みが多い訳ではないのだが陰影描写が非常に巧み。温度どころか気圧まで伝わってくる。水彩の塗りも上手いし、モノローグの文章も水みたいな清潔感がある。
主人公のロボットであるアルファさんはまさに「俺が考えた最高の女」で、時折ちょっと引く描写も入るが、まあ許容範囲。綾瀬が関越トンネルをひたすら歩く回(51話)とか、丸子に自分の仕事を馬鹿にされたアルファさんが、腕組んで敬語をやめて反論する回(102話)とか好きだ。全ての回が地味だが全ての回が叙情的。

別冊オリンピア・キュクロス



【第1話無料】別冊オリンピア・キュクロス

漫画じゃなくてアニメだが最近唯一見てるアニメ。テレビアニメって何か間延びしてるように感じて滅多に見ないけど、これは5分間だけのクレイアニメなので気軽に見れる。ささやかな毎週の楽しみ。実験的で元気が出るし知らない雑学とかもあって面白い。




…それにしても最近の鬼滅人気はすごいな。
私は以前このブログで「鬼滅は教育的価値の高さが突出してる」と書いたのだが最近その確信が強まりつつある。まあ人から借りて読んだだけなので正直うろ覚えなんですけど。絵本や青い鳥文庫で満足しなくなった子どもの次なるカリキュラムとして与えるのに最適な漫画だと思う。展開は基本ぬるゲーで絶望感はないけど、トラウマにならないレベルのグロ描写はあるのでお手軽に地獄を叫ぶことができるし。


特に印象的だったのが敵キャラの陳腐さ。バトル漫画においては悪役の描き方で作者の心性をハッキリ二分できると私は思っているのだが、鬼滅の作者は完全に主人公側に感情移入してる人だ。それ自体はタイプの話なので何の問題もないのだが、ただ鬼滅の場合はいくらなんでも悪役の描き方があまりに杜撰で投げやりすぎる。悪役の人格に具体性が一切なく、ただ取ってつけたような悲しい過去があるだけ。ラスボスの無惨とかいう人に至っては完全に共感不可能な「悪い奴」として描かれていて、台詞も全て抽象的で薄っぺらく、主人公達にも「お前たちはしつこい」「うんざりだ」しか言わない鸚鵡レベルの知能の人だ。知能が低すぎてぶっちゃけ邪悪さすらほぼ感じられないのだが、こういう悪役に対してサイコ野郎の主人公が「お前何を言ってるんだ?」とか「お前は存在してはいけない生き物だ」とか突き付ける場面がなぜか名シーン扱いされている。


正義には顔がないけど悪徳は習慣的なもの、ってのはよく言われる話で、本当は悪人こそ具体的であって然るべきなんですよね。良く生きる方法は大人や先生が教えてくれるけど、悪く生きる方法は誰も教えないから、人が悪くなる時というのはいつも「自分なりに」悪くなるのだ。そこに個性が発生する。
確かに「悪を憎め」「ダメなものはダメ」という正義一辺倒な規範も子どもに対しては有効だし必要なので、そういう意味でやっぱりあの漫画は教育的価値がずば抜けてるなと思うんだけど…大人までこれを絶賛してるのかと思うと私は微妙な気持ちになる。悪い人に対して「お前は存在してはいけない生き物だ」って言い放つの、普通に浅はかだしアウトだろと思うんだけどな。そういう気持ちが発生すること自体は理解できるし別に良いが、手放しに礼賛すべきシーンではない。
良くも悪くも時代にミラクルフィットした作品ということだろうか。



また鬼滅の悪口を言ってしまった。同じジャンプ漫画の『呪術廻戦』なんかも面白いと聞くのでいつか読んでみたい。11月になって時間も出来てきたし、久しぶりにゲームにも手を出したい。