取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

山本直樹『レッド』

あらすじ(上記リンク先より引用)
革命を目指す若者達の青春群像劇。この物語の登場人物達は決して特別ではない--。物語の舞台は1969年から1972年にかけての日本。ごく普通の若者達が、矛盾に満ちた国家体制を打破するため、革命運動に身を投じていく。それは、正しいことのはずだった……。激動の学生運動の行き着く先とはどこなのか!?全ての世代に捧げる、若き革命家達の青春群像劇。

 これは凄かった。敬意を表したい作品。
 現在の歴史教育はどうか知らないが、少なくとも1994年生まれの私の時代の高校日本史で習った内容をぼんやり思い返してみると、本来最も濃密に学ぶべき戦後史が非常に薄く扱われていたように思う。日米安保阪神淡路大震災、歴代首相名のような表面を捉えやすい情報は執拗に覚えさせられるが、自分の親世代やその親世代のようにいま自分の身の回りにいる人々がほんの数十年前に固唾を呑んで動向を追いかけた昭和史上の大事件を、軒並み全く知らないまま終わってしまう。下村事件もグリコ森永事件もロッキード事件も女子高生コンクリート詰め事件も、学校教育で触れた記憶はほとんどなく、それぞれ本や漫画で知った。これらの事件を学校で深堀りできないのは、背景が余りに現代に近すぎてショッキングであることや、関係者が存命であること、未だ事件の解釈が定まらず、学生の思想に不用意な影響を与えかねないことが理由にあるだろう。
 無理もない話であり異存は無いが、おかげで私は連合赤軍について極めて無知のままこの年齢まで達してしまって、山岳ベースのことも、あさま山荘事件の徴証のようなものだとぼんやり捉えていた。大きな間違いだった。


 登場人物が厖大かつ仮名にしてあるため、最後まで時々Wikiで実名を確認しながら読み進めた。読む前はどこまで事実に忠実なのかと訝しんでいたが、極めて入念な調査と取材に基づいていることは1話目から十分察せられる。もはや面白いとかそういう次元にある漫画ではないが面白いし、資料としても一級品なんじゃないかな。山本直樹本人は実際に左翼だろうに、この陰惨な事件をここまで淡々と客観的に描き尽くしているのには敬服する。作中で死ぬ人物には死ぬ順番の番号がずっと付与されているのも斬新で効果的な手法。序盤は番号付きの人物が少ないのでかなり気になるが、後半に入ると番号の人物がどんどん山に集結してきて凄みがある。


 自分は元々「なぜ彼らが運動に没入していったのか」という動機の部分を知りたくて読み始めたのだが、それについては最後まで全くと言っていい程わからない。連合赤軍の思想そのものには結局一切心を動かされることはなく、私に限らず大体の読者も同じ感想を抱く筈だ。しかしその代わり、なぜこの運動が山岳ベースのリンチにまで激化し終焉したのか、というプロセスは血肉になって理解できる。
 連合赤軍は単に(当時の感覚で)「意識高い」学生が暴徒化したものではない、というのは前提として、それでも結局のところ、最高幹部から末端まで全員が10代後半~20代のような社会的に未熟な集団に軍事的統率が成立する訳が無かったのだろうな。同世代と共同で理想を目指す活動は自己実現に直結しており、そこで得られた連帯は、犯罪を核にしているが故に解きがたく縛られ、離反者は激しく軽蔑される。こうして構成された集団が山岳の閉塞的な空間で2つ集まって、男女合同の軍事訓練など試みればどんな惨劇が発生するかは想像に易いくらいであり、その最悪のパターンが山岳ベースだったと言える。


 終始気になるのは彼らの言葉遣い。彼らの喋り方は話し言葉とは思えないほど異常なまでに理路整然としており、中盤までは私は「ちょっと頭が良いだけの学生が勿体付けた話し方して、全くお遊びだな」と冷ややかに嘲笑していたが、中盤以降の「総括要求」が始まるといよいよもってメンバー達がこの異常な言葉遣いで無理やり自己批判させられるようになり、一方で幹部達は炬燵に集まりメンバーの些末な仕草や言葉尻を列挙して「評価できる」だの「革命戦士から出る言葉ではない」だの、異常な言葉遣いで陰口言ってるだけの全体会議をするばかりで肝心の闘争について全く議論しなくなるので、嘲弄も失せ、ただひたすらにゾッとしてくる。リーダーの北と赤城の総括批評も「これは○○主義的な態度であって革命戦士にあるまじきものだ」とただ相手を○○主義とラベリングするだけ。なぜ○○主義が問題なのか何も言わない。
 崇高な思想を掲げておいて、仲間内のコミュニケーションで躓き自滅する。革命左派が山に水筒を持ってこなかったことを赤軍派が執拗に追及してきたことに革命左派が反発し、自分達が先行して山岳ベースを進めた努力を蔑ろにされたと感じた結果、赤軍派の紅一点である天城の個人的な問題をやり玉に挙げ反発する下り……あれは本当にくだらないけど本当に生々しいトラブルだ。理想を目指す者達がなおも「人間」であることに根本的な原因がある。


 連合赤軍の事件を現在の左派と軽率に結びつけることは絶対に避けるべき。
 ただ、山岳ベースのような仲間内のリンチ事件をなぜ右派でなく左派が起こしたか、ということを敢えて考えると、どうしても左派の心理的傾向が浮かばれてくる部分もある。それはやはり左派の人々もまた生臭い一人の人間達である以上、人間の臭気を漂白することはできないが、当人達はそれが可能かのように感じてしまっている場合があるということだ。旧共産主義の限界もそこにある。共産主義思想はシステムとしては無論革命的だろうが、人間の心はそのように出来ていない。
 また私はこの頃、古典的な左翼と現在主流のリベラル左派の間にも、決して埋まらない溝があると感じる。単に反米か親米かなんていう違いではなく、もっと根本的な何か……時代感が生み出した何かだ。今のリベラルは強固な思想というより、若い世代が共有するとされる「感覚」を以て理念を築いていて、そこがどんどん深い峡谷を成していっていると思う。右派にはそもそも固定の理念を感じないので私はあまり興味がないが、左派の流れには深さを感じて、共鳴するかどうかは全く別問題として、妙に惹きつけられるところがある。


 ……山本直樹作品をちゃんと読んだのはこれが初めてだが、日本人描写が卓越していた。本作品に関してはそれぞれ明確なモデルがいるから、というのもあるだろうが、必要最小限の細い線なのに、本当に「居る」日本人の顔ばかり出てくる。表情もすごいな。赤城のカッと見開くような顔や、薬師のムッと唇を突き出す顔、眉間に皺を寄せた迫真の表情で妄言を述べる北の顔などは、描かれるたび余りにもわかりすぎて、不快すぎて消耗する。特に私は神山の造形(特に醜悪ではなく、寧ろ作中ではどちらかと言うと美男の部類なのだろうが…)が生理的に無理で、神山がコマにいるたび喉がムカムカする感覚を覚えた。
 総括要求もといリンチのシーンは読者もずっと苦しいが、中でも高千穂、天城、霧島の総括が自分には堪えた。総括という名のリンチにかけられている点は皆同じでも、読んでいて特に消耗するメンバーや、逆に比較的抵抗なく読めるメンバーが自分の中に存在する事実は重要だ。意味不明で残忍な総括要求を繰り返す北や赤城に対して、私は「こいつらが総括されればいいのに」とも思った。当然私も同じ人間だということだ。