取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

普通のことを言う勇気を持とう

 noteやはてなブログやらtwitterなど、とかくフットワークが軽く即時性が重要な文章webメディアというのは、いつだか村上春樹が述べていたように文章の質が低い、文章が上等でないことが多いが、一方で凡百の普通の人間が異常な主張を繰り返すように変貌を遂げていく様をリアルタイムで刻々と眺められる点が転倒した複雑な享楽を生み出しており、私自身もそういう手合いで半ば中毒的に楽しんでいる節がある。


 元々著名人という訳でもないインターネットの一アカウントが何らかの社会批評的な主張をする場合、他とは違う、普通じゃないこと、極端なことを書く方が圧倒的にインプレッションが集まる。一つのツイートや記事にインプレッションが集まると、それを発信したアカウント自体にもそういう卓越性や飛び道具的な面白さを見込んで一定数がアカウントをフォローし、期待通りのパフォーマンスがなされれば固定のフォロワーになる。フォロワーが増えればその一アカウントにも若干の権威が付与され、発信内容が注目されやすくなる。
 向けられたことのない熱量の期待と注目、そこにインターネット的な収益システムが組み合わさって目前でギラギラ輝き出すと、人によっては威風堂々その先へ進む訳だ。まだまだブルーオーシャンと思う。


 一般人がインターネットの連鎖的な承認・団結によって主張を先鋭化させていく現象は、日常にうっすらとした不満を抱えた女性達がインターネット上の同志との連帯を通して覚醒し、ラディカルフェミニスト化していく過程を揶揄して言及されることが多いように私は認識しており*1、事実としてそれだけの実績はあるのだろうが、こういった滑り坂現象は別に現代フェミニズム界隈に限らず、むしろ対立勢力内でも多分に見受けられる傾向だ。
 性質が大きく異なるので同列で語られることが少ないのか、どんどんエスカレートする昨今のポリコレ圧への反動として致し方ないことと見なされているのか、あまり語られない理由はよくわからないが、とにかく反フェミニズム的な論者がどんどん急進的になっていく際の特徴について、私はずっと「この人達ってこうだよな」というあるあるを温めており、友人に話すと笑ってもらえたり同意してもらえたりしたのだが、言わば単なる悪口みたいなものなのでブログに書くのは避けておきたい反面、所見として一旦残しておきたい気持ちもあって、反フェミニズムあるある言いたい、反フェミニズムあるある今から言うよ状態になっていた。しかしよく考えなくても元々だいたい悪口書いているだけのブログなので、我慢せず書く。異常な反フェミニズムアカウントの特徴。



自分に肯定的なツイートを無限にリツイートする
 界隈を問わずこれをやっている言論人は言論人としての作法や矜持を著しく欠いているので、言うことも真に受けない方が良い。リツイートされた方には当然「あの人に見てもらえた、リツイートされた」という喜びが発生し今まで以上に相手に好意を持つようになり、お仲間化・取り巻き化していく、そうしたブランディングを明確に見込んでの行為。


異常者や闇の住人を自称してイキリ始める
 そもそも自分について「異常」と烙印を押されることに大人になってもまだ恍惚とする人が存在し(肌感では男性に多い)、烙印を押されるだけでは飽き足らず自ら名乗り出すこともある。恐らく自分達の主張が現在の表側のメインストリームではない、しかし残酷な現実を突きつける必要悪の論客であるという意味合いを込めて自称しており、彼ら彼女らにとっては「異常」は諧謔を含んだユーモラスな誉め言葉に他ならないようだが、言ってることは異常でも、あなた自身は元々異常でもなんでもない普通の人ではないかと思う。人間みなどこかに異常な部分を持っているし、自分の異常性を歓迎してはばからない時点で大した異常性でもない。
 また、自分の書いたもののことをなぜか「テキスト」と呼ぶ。自己中心的で壮大な世界認識、陶酔した中二病的言葉遣い。


明らかに必要以上にグラフを使う
 主張の際にどこからともなく取得してきたグラフを添え、それによって自分達の主張を裏付ける「現実」を示そうとする論法(?)が異様に多い。どんだけグラフ持っとんねん、と内心で突っ込んでしまう程の頻度でグラフや統計を論拠に駆使し、女性の上昇婚志向やら男女の幸福度指数やら、可視化された現実に拘る。
 グラフや統計の重要性は理解するが、そこにどれだけの人の現実の生活が映し出されているかは誰もが疑問に思うところだ。実際私は国勢調査と会社のストレスチェックくらいしかああいうアンケート調査に回答した記憶は無いし、ほとんどの人も同じような感触だろう。一部の現実の縮図であるのはそうなのだろうが、とてもグラフでは説明のつかない執念を端々に滲ませながらひたすらにグラフを提出する彼らの様子には鬼気迫るグロテスクさがあり、統計的な現実などより彼ら個人の半生の中にそのヒントがあるのではないか、そちらを語った方がもっと周りを変えられるし自分も寛解に近づけるのではないかと思うのに、頑なにそれはしたがらないのだ。極めて感情的な方法で、自分が感情的ではないことを証明しようとする。
 また、第一にフェミニズム的な正義観というのはそういった統計に掬い上げられないそれ以前の個人的な体験、言わば実際の生の過程に重きを置くオルタナティブな正義観なので、どれだけ「統計の真実」が主張されたところで論破などされたことにはならない*2ため、こういった論法での反証は実際には成功しておらず、ただ反駁側が気持ちよくなる効果しか生めていない。統計はそれ自体では「今の結果」しか映し出さず、「なぜそうなっていったのか」の深い理由は示してくれない。重要なのは非難することではなく理由を問い続けることだ。


高頻度の有料マガジンを一人で連載し始める
 フェミニズム叩きで売りを挙げている人間は個人活動が多い。一方フェミニズム的な言論というのは、リベラル仕草のきついマーケターによって金儲けに利用されることはあれど、インターネットのフェミニズム戦士達がそれによって集中的な利益を上げる、という例は、そこまで多くないように見える。売り上げを立てるにしても、座談会的なイベントを催し参加料金を取るという形式のものの方が圧倒的に頻繁に見かける。文章を出すにしてもwebマガジンではなく本としてオフラインで発表したがることが多いような。多分出版社から声が掛かってくるのだろう。
 アンフェからすれば個人マガジンが自発的に出来ないのはフェミニスト達の知識不足と信念の欠如、閉塞性の表れ、と言えそうで、事実その通りな例もあるだろう。だが個人の実力で売りを立てることが羨望の対象となるというのはまさに上を目指すホモソーシャルの競争的世界観そのもの*3なので、そうじゃないものの方により価値を置くフェミニズムがそこに注力しないことは若干の問題こそあれ不自然ではないと思う。ああいう商人然としたことがしたい訳でもないだろう。
 それに、例えば月1,000円の有料マガジンを購読する人間が彼らがよく取り上げる弱者男性に当てはまるかと言うと、決してそうではなくむしろ文化的・経済的に上の下~中の上あたりの男性女性達が最も厚い購読者層なのではないかと邪推する。スポットを当てたい、救いたい対象の人間に全く届かないというのは人文学全体が抱えるエゴイズム、ジレンマの1つだが、この界隈もそこを全く脱せていないどころか、脱しようともしていない点で結局都合の良いポルノの域に留まっている。他人よりまず自分を救わなければ、他人への救済意欲すら不誠実な甘えになる。


 お気づきかと思うが上記の4点は下に行くほど界隈の色が濃くなる特徴として、順序を意識して書いた。
 そして私が言いたかったあるあるは本当は3番目のグラフ侍についてのみで、その他3点はおまけとして添えた程度のものだ(本当にあるある1個だけあります状態だったのだ)。それくらいグラフの異常活用という奇行が私の目には際立って象徴的に映り、あまりの活用度合いに時々笑ってしまう程である。何を隠そう、面白いから書きたかったのだ。極めて感情的に統計を提出し続けるという矛盾に近い謎めいた行動だが、どこか悲哀もある。
 日本から武士が消え、されどその霊魂のみ脈々と受け継がれていった結果、行き場を失った男達が今こうしてインターネットでグラフ侍に化けているのではないかと思うと、暗澹たる心地にもなるが単純に面白がってしまう自分も存在している。彼らにとっては普通のやり方なのだろうが、それゆえに面白くなってしまっている。


 しかしどれだけ面白くても、好意的に見ることはできない。彼らに共通する特徴として、個々の問題の洞察はわりと的を射ているが本人の中でそれらが壮大にかつわかりやすく、自分が世界を理解しているという全能の恍惚に誘導されて結び付けられてしまっているので、結果として致命的に簡略化された針小棒大で有害な世界認識になっている。諸所の問題を一人格で完結しようとする大陸哲学者ばりの試みをファストに完遂できる訳がなく無理が露呈している。こういう雑で短絡的な言論が罷り通り大手を振って歩かれてしまうようになると社会として悲惨な断絶が深まるばかりだ。社会なんて雑な議論で進んでいくものかもしれないが。
 また、普通にしていて異常と言われる人はままいるが、普通の人が敢えて異常なことを言おうとする試みを幾度も幾度も繰り返した結果としてその異常が板についてしまった場合の異常性というのは、傍目には非常に痛々しく虚しく見える。そうまでして頑張って異常になることで、当人および世の中にどれだけ幸福がもたらされるというのだろうか。頑張って異常を目指してしまう人間の病理自体は非難しないし、彼らが目一杯ぬるま湯に浸かり好き勝手言い散らせる場所もインターネットの片隅にくらいあっていい。問題はそれを市場にしてしまう人間だ。人を巻き取る仕方の自己利益の追求に「異常性」の蜜を利用するべきではない。



 ※記事タイトルはくりぃむしちゅーの上田が「面白くなるにはどうすればよいか」とえなりかずきに尋ねられた時に与えた助言もとい金言(出典:『太田上田#116』)。
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*1:あと定年退職後の親のネット右翼化。

*2:こういう逆説的な無敵さがフェミニズムの構造の欠点ではあると思うが。ただ、最近はインセル側も他人のかなり個人的な部分を想像で補完して激しく追及している様子を頻繁に見かけるので、結局ポジショントーク、環境適応ではないか。

*3:実際フェミニスト当事者がそれをビジネスにしようとすると非難を免れないし、同志からも尊敬されないことが多く、ビジネスとして成功と言えるかどうかは微妙。