取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

翻訳とオリンピック

 1つ前の記事で突如として高校英語の授業の予習が始まったことにいささか豆鉄砲を食らった読者がいるかもしれない。翻訳って文章の練習になるし、英語のリハビリも出来て一石二鳥(鳥だけに)、とふと思い立ち余裕綽々で取り掛かったものの、いざやってみるとわりと早い段階、具体的に言うと2段落目あたりから普通に嘔吐感に襲われてきた。やはり母国語以外の言語は人体に害があり、年を重ねるにつれそのアレルギーも漸進的に悪化するので、鞭打ってまでやることではないなと実感したが…余程気が向いて、良い題材が見つかったら今後も時々やる。難易度、文量、著作権の問題からとりあえず初手はメルヘンを引っ張って来たけれども、ニュースコラムとか、もう少し現代的な題材の方が訳す側としても読む側としても楽しいのかもしれない。そのへんは著作権とも相談しつつ。


 そういう訳なのでグリム童話に特段詳しいとか、膝を打つほど感動したことがあるとかそういうアレは一切無いのだが、実際翻訳するとこの『黄金の鳥』もやはりなかなか含蓄がある話だなというのは感じた。文章が無味乾燥すぎるのが困りものだったけど。
 典型的な末子成功譚でありつつも、その末っ子も順風満帆ではなく失敗を繰り返す。ただ人が良いので賢い狐が何度も何度も助けてくれるという筋書き。日本的な感覚だと男兄弟であれば兄の方がしっかりしていて弟は奔放、というのが集合的無意識や家父長制の産物としてある気がするが、この話では兄は強欲、弟は素直で謙虚(いわゆる愚兄賢弟もの)という少しそこからズレた描かれ方をしているので、少々新鮮さがあった。私自身も末っ子なのでこの描かれ方は悪い気はしないが、こういう「不遇だが真面目な末っ子」ってのは西洋的な感覚だろうか。


 獲得するべき対象も、林檎(植物)→鳥(鳥類)→馬(哺乳類)→王女(人間)とどんどんスケールが大きく、かつ生々しくなる。王子は狐の助言に従おうとするが、いざ手に入った鳥や馬の装飾品の粗末さや、王女の悲痛な懇願を前にすると、己の感情の方に天秤が触れ、容易く助言に背いてしまう。これらの失敗はそれぞれ「目的が完了してもいないのに不要な世話を焼くべきではない」「愚か者は最後の最後で気を抜いてしまう」という教訓を示唆していると思われる。しかしこうした抜けたところがありつつも王子は根本的に素直で良い奴なので、お供の狐も最後まで見捨てず目をかけてくれる(ただ、結局のところこの王子も所業だけ見れば他国の所有する宝物を騙し盗っている訳であり、狐の助言に従っただけとはいえ、手放しに「良い奴」かどうかは現代人の眼からすると非常に疑わしいものだ)。この狐が王女の兄であるという結末はかなり唐突な種明かしだが、振り返れば確かに、鳥や馬の時は指示出しに徹していた狐が、王女の時は丘1つ消し去るという難題を自ら代わって成し遂げているから、王女に何らかの執着があることがここから伺えなくもない。狐がかけられていた魔法の詳細は最後まで明かされないが、「人助けをすること」が解除の一条件になっているのかもしれない。狐が突然「殺してくれ」と請うシーンにはドラマ性を見出さずにはいられないので、そのあたりの解説がどこかにあると良いのだが。


 一応Wikiくらい目通しとくかと思って読んだグリム童話Wikipediaもわりと面白かった。特に取材源の項。Wikiではなくちゃんとした本で読むべきだろうが。
ja.wikipedia.org




 さてポケモンUNITEが遂にリリースされたので連休前半はひたすらそちらに没頭していたが、そうこうしてたらいつのまにやらオリンピックが始まった。開会直前の怒涛の解任騒ぎには流石に辟易し、単なるキャンセルカルチャーとも文脈を逸する方々の異常行動の連発*1に「いったい何が起こるのか」と胸騒ぎじみたものを感じたが、蓋を開ければただオリンピックが始まっただけらしい。家にテレビが無いので開会式は一秒も見れていないけれども、何やら私にも馴染み深いゲーム音楽が使用されたらしいし、パフォーマンスも概ね好評のようなので、時間あればアーカイブ探して見ようかな。前日譚(文字通り前日)を意識するとフリーランスが良いように使い捨てされた現実がじくじくと反芻されてきそうだが。それに場外に反五輪のデモ隊がびっしりいるのかと思えば言いようのない味もありそうだし、開始までは五輪関係の不祥事を「今いちばん跳ねるネタ」として散々擦り倒しておきながら、開会後はそしらぬ顔で純真に大会を盛り立てる各種メタモルフォーゼメディアの商魂たくましさも目の当たりにできそうだ。


 SNSの台頭以来忘れかけていたが、「皆が同じものを見て興奮し、その興奮を共有する」って、元々はオリンピックのような国を挙げたイベントに特有のものだったよなあと思い出してきた。今では小さな事件でもちょっとネット民のフックにかかる要素があればもううんざりする程SNSで盛んに言及・議論されているから、そういう民衆の興奮状態ってものに皆が現象として慣れてしまった感があり、オリンピックの特別さも実感しにくくなってしまった。スポーツに関心が薄い私ですら、子どもの頃オリンピックがあればいくらか心が弾んで、数種目分くらいはテレビに齧りついて家族とあれこれ話したものだが、今じゃほとんど興味が持てない始末。……とはいえ折角の東京開催だし、超一流アスリートの本番の姿を一斉に見れる貴重な機会だし、ある程度の情報は押さえないと仕事の雑談に不便だろうし、何より子どもの頃とは全く違う形で国内外を騒がせ是非が問われた大会であるので、なんとか少しくらいライブで見ようと思うけれども。

*1:特に防衛副大臣の異常行動には目を見張った。あれに関してはいくらなんでも追及されるべきだろう。