取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

1/19日記

 寝たのは3時過ぎくらい。
 宇多田ヒカルのニューアルバムが0時にリリースされたのでiTunesで購入していた。半分以上がシングルで購入済のトラックなので残りをポチポチ買っていたら、最後に「アルバムのみ」なるトラックがあるのに気づいた。要はアルバム全体として購入しないとその1曲を入手できないというトラックならぬトラップである。何だそのコスい商法は、と遺憾に打ち震えながら3分ほど悩んだ後にもう一度アルバムとして買い直した。想定外の重複購入だ、あまり気持ちの良い購買体験ではないので、U3musicおよびiTunesはこのトラップ部屋のようなアルバム購入システムを何とかしてほしい。が、曲は一通り聴いてから就寝。


 7時半起床。もう少し寝る。
 4時間前にiPodに入れたばかりの曲を聴きながらうつらうつら徒歩と電車通勤。最近電車のホームでよく朝日が当たって温かい場所を見つけたのでホーム待ちの時はそこを定位置にして立っているが、よく日が当たるがためにそこではスマホ指紋認証が上手く反応しなくなるので、一得一失でもある。だが得の方が大きいので冬の間はてこでも動くつもりはない。


 職場に到着するもまたすぐ外出の予定があるので、朝にやることだけ早く済ませねば、とせかせか動いていたら珍しく想定より早く終わり寧ろ時間が余った。と、思ったら出発間際に電話がかかってきて延長。急いで車を飛ばしたが結局社内の待ち合わせには遅刻した。お客さんは待たせてないからギリギリ許されたと思うけど、同じ人相手に2回目なので若干ムカつかれた気配はある。平身低頭するしかない。
 客先玄関の検温器で体温33.1度を出す。だいぶ低いですね、と話したら次の人は25度を出したので、低いってレベルじゃないですね、あれ、死後硬直かな、と談笑。壊れかけのレディオより壊れた検温器がこの頃多い。
 客先案内の感触は別に特段良くはなかったが、自分もようやっとああいう場で落ち着いている振りができるようになってきたかもしれないとは思う。いま目の前の相手に自分が労働者として、働く人としてそれなりに信頼されていると肌で感じることができる時、良し、良し、という気持ちが花の綻ぶごとく咲く一方で、なんだか随分変わってしまった、とも時々。
 人と別れて適当に車を留めてファミレスで昼。電話のため手洗い場を探すも見当たらず茫然と立ち尽くしていたら女性店員が怪訝な顔をする。お手洗いどこですか、と私が訊くと「ああ! あちらです」と一瞬で合点してこれまた花咲くように笑った。
 いつもランチセットはライスだが今日はメニューの中の「米粉パン」が目に止まってから急にそれしか食べたくない口になってきたのでパンにした。パンはたまに食べると頭が「!」と炸裂するくらい美味に感じる。表面で照り輝くバターもなんとも愉悦チック。
 食後に加藤尚武『かたちの哲学』読み始めるも、あんまり文章が上手いので驚きすぎて閉じてしまった。作家じゃないけどこの人の書き物は作品としての完成度が群を抜いている。


 職場に戻って内勤。特記事項なし…可もなく不可もなくという出来。
 定時退社したのは理由がある。20時から例の宇多田ヒカルの配信ライブだった。1時間の収録配信だけで2800円は正直高くないかと渋ったが、U-NEXTも配信元だったのでポイント残高を全部つぎ込んで結局チケットを購入していた。買ってからも「やっぱちょっと高いな」と思っていたが、予定が間近に迫るにつれ、配信なんだから家のこたつでだらだらチューハイ飲みながらライブを見れる訳だし、それは寧ろかなり贅沢なことに思えてきて、どんどん楽しみになってきた。
 実際、楽しめた。サプライズで歌われた『Hotel Lobby』と『About me』は私がUtada名義の中で最上級に好きな2曲なので非常に嬉しい驚き。
 今回のアルバムは、生きるとは一人であるということなのだ、という大前提を確認しながら、そのような私達がそれでも他者と関わり影響していくことの喜びと不安、どの曲もそれを表現している、と理解した。自分自身と向き合うことで初めて他人と真っすぐに関わっていくことができる。インディビデュアルとディスタンス。←英語にしただけ。
 今のところ特に気に入っているのは『BADモード』と『Find Love』。『BADモード』の「わかんないけど君のこと絶対守りたい」「誰でもこんなに怖いんだろうか?」って歌詞はいかにも宇多田ヒカル。音楽的なことはわからないので深入りしないが、どんどん大衆性を手放していきつつも置いてけぼりという程にはしないバランス感覚を見た。18年前のアルバム『EXODUS』に似てオシャレな隠れ家みたいな秘密めいた趣。『EXODUS』も方向性は違うけど自立の話だしね。あれが子どもが大人になる脱皮だとしたら、今回は大人が大人になる脱皮と言える、かもしれない。


 配信後、一応曲紹介のラジオもちゃんと聴いて現在に至る。まさにファンの鑑。
 英語の曲が多かったから和訳でもしてこのブログに載せようかと少し思いついたが、リスクに抵触したくないので没とする。
 アルバムを流しながらちょっと考えた。顔のない「ある女性」「彼女」ただ一人を想って書かれたもの、そう設定されて書かれたものに惹かれるアンテナが自分にある。宇多田なら『キレイな人(Find Love)』『Hotel Lobby』『Making Love』、ほか音楽ならサザンの『ミス・ブランニュー・デイ』、KT Tunstall『Suddenly I See』、平井堅『かわいいの妖怪』、小説なら坂口安吾『私は海を抱きしめてゐたい』等。作品の中にはその女性に対する「私」の視線だけがあり、それ以外のものは何もないのに、全てが物語られていると感じる。女性の孤独と、それを見、愛する人の視点。孤独な女性はどうあっても脅威にならない。そのぽつねんとした存在感と距離の魅力的なこと。もう15年近く同じ女性――それも全くの他人の、10も上の女性アーティストーーの動向をじっと観察している自分を顧み。


 そろそろ寝る。もうそろそろ。



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