祝・2021年。
年末年始はおじゃる丸的な感じでまったり過ごしつつ、取り憑かれたように『イモータルズ フィニクスライジング』(ギリシア神話舞台のオープンワールドRPG。面白いのでオススメ)をやってたりしたが、合間合間に珍しくいくつか映画を見たので感想メモ。
自律神経に問題があるのか、私は数時間椅子に座って映像をじっと見るだけという行為自体が得意じゃなく、しかもそれでつまらなかった時なんかは何ともやるせない気持ちになって嫌なので映画適性に欠けているのだが…まあそれも言い訳っちゃ言い訳だなと最近思い始めた。もう少しアンテナ張って、たまーに感想も整理しようと思う。
グラディエーター
ずっと見たかったやつ。素晴らしく面白い一大スペクタクル(≠スパルタクス)だった。
後から冷静に思い返せば筋書きはかなり荒唐無稽でマキシマスが万能すぎるし、特にラストの展開なんかはいくらなんでも無理があると思うのだが、見ている時はそんな違和感が軽くねじ伏せられる説得力、迫力がある(途中で凄腕剣闘士+トラ2匹に勝った時は流石に「え!?w」となったが)。コモドゥス役の怪演が特に良い、情緒不安定なイカれ男が似合う人だな。父王マルクス=アウレリウス=アントニヌスの愛を得られず泣きながら殺すシーンとか、唯一の拠り所である姉が影で謀略を働かせていることに勘付いて彼女の息子の前で詰問するシーンとか。愛している相手から「シンプルに自分の性格の歪みゆえに」愛し返してもらえない、そういう苦しさってのは普遍的でやりきれなくて孤独だ。
冒頭の戦闘シーンもまさに血沸き肉躍る浪漫があってワクワクするし美術も凝っていてプチ古代史好きとしても眼福。
羅小黒戦記
観客を信頼した誠実な映画だった。こういう言い方あんま良くないけど『バケモノの子』の超上位互換という感じ。風息が魅力的なのが最大かつ最高の美点だな。わざわざ言うまでもないがアクションの作画レベルが非常に高いしキャラデザも秀逸。猫の時の小黒の動きなんかは研究し尽くされてて悶えるほど可愛い。ただ後半にわらわら出てくる妖精達までやたらキャラデザが良いため、その全員が完全な端役として終わってるのが逆に腑に落ちないノイズになっているように思う。
いろいろ背景設定が練ってあることも伝わるが具体的なことが何も示されないまま最後まで行くので(無限様がどういう存在なのかもよくわからない)多少消化不良感も残った。でもこの映画自体が本編アニメの前日譚の物語であるそうなので、これだけ見て設定に文句を言うのは難癖だろうな。…とはいえ、妖精があれだけ物理的に人知を超えた力を持っているならせめてもう少し体制が覆っていて当然だが、舞台はかなり保守的で現実世界とほぼ同じだしそれだけはやはり違和感がある。似たテーマの『平成狸合戦ぽんぽこ』はそのへん納得だった。
シェフ 三ツ星フードトラック始めました
なんかこの映画もう既に見た気になってたけど、自分が見てたのはフランス映画の『シェフ!~三ツ星レストランの舞台裏へようこそ~』の方だったことに気づいて視聴。名前も雰囲気も似てるし紛らわしっ。あれも面白かったけどこれも良かった。安打ではあるけど愉快でハートフル。自分は映画だと意外とこういう、内容的にも視覚的にも楽しいのを一番好んでしまう。
2014年という制作年を思えばネットリテラシーへの先見性に感心するし、こちらの苦肉の事情も知らず自分の料理をtwitterで馬鹿にしたいけ好かない評論家に対し、カールが店でブチギレるシーンは胸が梳く。ネットで炎上しても逆に皆が彼を好きになる、というのがよくわかる。
最後「放課後と週末はフードトラックに来ても良い」と息子に許可を出し仲良く終わるが、「この息子もいずれはもっと楽しいことを見つけて来なくなるんだろうな…」と勝手に想像して切なくなった(『耳をすませば』見た後に「この人達結婚しないだろうな」と思うのと同じ)。
燃ゆる女の肖像
いろんな人が絶賛していたので観に行って、確かに素晴らしい。映画を総合芸術と言う人の気持ちがわかる。情熱的かつ繊細だが感傷じみたものは全て冷徹に切り捨てられていて、わずかな空気の弛緩も許さないその厳しさには良くも悪くもちょっと疲れるが、高潔な真剣さが伺える。ビアン描写がかなり急に差し挟まれ出したように感じて自分はそれが違和感だった(互いが互いのどこに惹かれたかを考えても、立場構造的なものしか浮かび上がらない。そこにこの映画の本質があるという理屈はわかるが、納得できなかった)けど、ラストシーンは圧巻。
観終わって暫く考えてたら、以前知り合いが言っていた「百合への嗜好は消失願望の症候」との持論を思い出した。聞いた時は「そうなの?」とピンと来なかったが、成程そうかもと実感し始めた。慧眼。2時間くらいずっと女性だけの濃厚な対話や戯れを見せられた上で最後に肖像画の引き取り役としてモブ男がひょっこり出てきた時、「うわ」という嫌悪感が鮮鋭に自分に走ったことが印象に残っていた。2時間かけて自分の中の百合(と言うと俗だけど)への嗜好を急速に育てられ、男性って実体的で物質的で気持ちが悪い、そういう感覚を強烈に覚えさせられたのだ。
繁殖の意味での生産性が無い=漸進的な消失、という点においては男性同士の同性愛も非生産的で動物のルーツに背を向けているので、それへの愛好心だって消失願望の表れ、と言えるかもしれないが、男性ってやはり実体としての記号性が強いが、女性同士となると生殖機能の根源を生まれつき内に持ちながらそれに背いて女性同士で結びつく、という背徳性・抑圧性・観念性が更に強調される。あと単純に女性の身体の方が美的に優雅で目に良い場合が多いので、花園の美しき破滅、美しき消失、って感じがするもんなとか。適当だけど。
アメリ
最高に面白い。ロアルド・ダール コレクションみたいな完璧な愉快さ。これが一番良かった。アメリはかわいいけど、人と関係を築けない女の悲しみと気持ち悪さも的確に表現されてる。何を言っても語るに落ちる。
呪術廻戦
映画じゃないけど最近アニメで見てるので。流石ジャンプの注目タイトル、結構面白いし肌に合う感じ。面白いからこそ原作漫画読んだ方が良いんだろうなと思うけどまだ購入には踏み切れず渋っている。
鬼滅でも感じたが、最近のジャンプって今までの成功した少年漫画の集積を癖少なめにコンパクトに1作にまとめた漫画が覇権を得てるな。呪術廻戦も少年漫画のセオリーがお手本みたいにずっと敷き詰められてて(アニメまだ序盤だからアレだけど)、特にキャラ造形なんかに顕著と思う。虎杖、伏黒、釘崎、五条悟、真人、順平君…いろんな漫画で何十回も見たような典型的なキャラが多い(でも作者の技量が高いので陳腐化はしてない)。鬼滅との違いとしては恐らく鬼滅の作者(吾峠呼世晴)がほぼ漫画のみで純粋培養されているのに対して呪術の作者(芥見下々)は他媒体にも一定以上触れた上で「少年漫画」を突き詰めている印象を受けることかな。私が受けた印象の話なのでとんだ見当違いかもしれないが。チェンソーマンなんかはそこで敢えて少年漫画セオリーに反抗する逆張り的漫画の面があるけど、この作者(藤本タツキ)も漫画というより映画を相当見てる感じがする。ちょうど昨日10巻読んだけど画面作りも絵も上手すぎておったまげた。
そんで展開が非常に早い。呪術は少なくともアニメだとストレスフリーな良い早さだけど、鬼滅やチェンソーマンは展開が早すぎてそれがアキレス腱になってるレベルで早い。長らく蔓延していた人気漫画の引き延ばし的長期連載への反省なのかアンチなのか…。
近頃ジャンプの再興が著しいので自分もここ1年くらいでいくつか触れてみていて、残すはヒロアカ、約ネバ、そして大注目株というSPY×FAMILYあたりも読んだら面白い発見がありそうだし興味はあるが…流石に最近ちょっと少年漫画に疲れてきた。金も時間もかかるし、深追いせず休み休みがいいな。でも別マガの進撃も完結するらしいからそれは必ず読まねばならない。
1月下旬からエヴァ…失礼、シン・エヴァもやりますね。新劇場版はずっと宇多田ヒカルが主題歌をやっているため使命感じみた関心も無くは無いのだが、自分もう26歳だし今更エヴァ楽しめないような気がして新劇は1つも見ていない。どうしようかな。予告で1分くらい流れてた宇多田の新曲は出だしの歌詞がちょっと面白かった。「初めてのルーブルはなんてことはなかった。私だけのモナリザもうとっくに出会ってたから」ってやつ。美術館で名画見て「なんか普通だな」って思うことあるよね。