取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

虚構日記・発達編

 今頃あいつどうしてるだろう。どこで何やってんだろうか。大人になっても、未だ搾り取られているんだろうか。
 そういう考えが不意に頭に過ったのは、別に初めてのことじゃなかった。実を言うと年に一度か二度程度、あの子のことは思い出す。しかし、そのたびすぐに忘れてしまうのも毎回だ。それは僕にとって彼女が結局その程度の存在であるからに違いないが、それでも定期的に頭に過るということは、彼女が何らかの暗示的意味を伴って僕の体の中に保管されているということもまた言えそうだ。思い返して分析すれば、彼女のことを想起する時は決まって自分の心身どちらかが極端に無防備な時に限られていたかもしれない。
 さっきだって風呂場で髪を洗っていた時に思い出したのだ。浴槽に浸かっていた段階から、ピーポーピーポー。外で救急車のサイレンが鳴り出した。近所で急病人でも出たか? まあ年の瀬のこの時期だから、羽目を外して飲む奴もいれば、初雪の路面凍結で怪我する奴もいるだろう、世話なもんだ、と大して気にせず聞いていたが、暫く経って浴槽を上がり頭髪をシャンプーで泡立てている時、まだサイレンが鳴り止んでいないことに気が付いた。ピーポーピーポー。すぐに遠のくかと思ったら、考えればずっと鳴っている。音量も少しも下がっていない。……いつからだ? これはいつから鳴っていた?
 気になりだせば自分の貧弱な裸が恥ずかしく、みるみる不安が掻き立てられた。もわもわとした大気の中にこのちんけな男の裸だけが不釣り合いに高い密度を持って存在している現在の事実に、毛羽立つような心もとなさを急に覚えた。もし近隣で火事でも起こっていたら……ピーポーピーポー……駆け付けた消防士に裸で目撃される哀れな自分の像が、突如レンズ側の視点からイメージされてきて落ち着かない。
 その時だ、あいつを思い出したのは。知己と言える程の交流も絶たれた中学時代の亡霊が、閃光みたいに頭に過り、閃光みたいに走り去った。ピーポーピーポー……。結局その後そう時間もかからぬうちにサイレンの音は遠ざかり、僕はいつもの風呂場のルーティンをこなしていそいそと浴室を上がったが、スウェットを着る前にもう一度、自分が先程あいつのことを思い出したことを思い出した。恐らく、衣服に体を通してからでは、もう思い出せなかったと思う。
 こうした無防備な状態の時に彼女のことを思い出すのは、僕が彼女と唯一、他人のいない場所で一対一で会話した際に、彼女が発した以下の発言が素因になっていると推測される。
「盗撮された自分の写真、見たことある?」
 聞かれた僕は面食らった。いきなり何を聞くのかと。
「ある訳ないよね。階段の下からとか、ドアの隙間からとか、想像だにしないアングルの写真。最初、自分だって気づかないの。これが自分なのかって驚くの。でも自分だって気づいた時、途端に、恥ずかしくて恥ずかしくて、心臓が辛い物食べたみたいに、全身赤くなっていく感じがするんだよね。それが嫌で仕方ないんだけど、でもなんか、ずっとこれから逃げてきたようで、ずっとこれを探してたみたいな、変な感覚もあって、なんか……こういうのが中毒って言うのかな」
 自虐的に笑っていたが彼女の語り方には自慢めいた悪癖が多分に盛り込まれていたので、当時中学生の僕は深刻に受け止める気になれなかった。いや、今でも別に、深刻に受け止める必要もなかった筈だと断言できるが……。この日は放課後、忘れ物(確かその日の課題のワークブックか何か)を取りに教室に戻ったら伽藍とした教室に彼女が一人、窓際席で携帯を手に黄昏ていたのだ。うわ、と反射的に思いながらも、彼女の外見は人並みより美しいので、教室で彼女と二人きりというシチュエーションには思いがけずドキッともしたが、まあそれだけだ。特別僕のタイプではなく、何が始まることもない。ただちょうど彼女は僕の隣の席に座っていたので無視する訳にもいかず、軽く挨拶だけしてさっさと帰ろう、そう帰り支度をしている僕に対して、
「ねえ」
 藪から棒に、あの子はあまりにも唐突な自分語りを吹っかけてきた訳だ。
「盗撮された自分の写真、見たことある?」――。
 元より自己顕示欲のきつい女だという印象は強烈に持っていた。この時も、はあ、と半ば呆れながら、一体こいつは僕に何を言ってほしいのか、僕はどう答えればいいのかとそればかり考えていたが、ただ一方で「心臓が辛い物食べたみたい」という比喩はなかなかだと思った覚えがある。僕が返答に窮し相槌も打てずにモジモジしている様子を見て、自分の過激な話に呆気に取られているのだと解釈した彼女は、一応それで満足したらしい、
「ごめん、忘れて」
 などと良い女風にニコリと笑うと、僕はそのまま放免された。「盗撮されたの?」くらい踏み込んでやれば彼女はもっと喜んだのだろうと今なら紐解けるが、僕は帰りたかったのだ。艶やかな長い髪が夕焼けに照らされ、申し分なく美しかったが、僕にとってはさほど魔性のものではなかった。教室に一人彼女を残し、足早に部活に戻った。それが彼女と唯一の思い出らしい思い出だった。
 

 ああいう話を振るからには、流石に実際に被写体として迷惑を被った経験があるのだろう。意外な話でもない。彼女はいわゆる遊び人で――中学生の遊びなんてタカが知れているが、彼女は年上、特に大人の男に猛烈に惹かれるタイプの中学生女子らしく、彼女に纏わる卑猥な噂も何度か耳にしたことがある。だから見た目が可愛くてもタイプじゃなかった。中学生ながらもちょっと危ない女であり、そういう危ない女であることが何より自分独自の価値だと恍惚に耽っているような、いけ好かない馬鹿な女だった。
 ただ一方で、彼女が決して悪人ではないことは、直観的にわかっていた。第一、見た目が一群級に可愛いのに僕のようなちょっと陰気な、目立たない歴史オタクにもそうやって一様に話しかけてくる時点で若干の好感を持つのであるが、それ以前に彼女は先天的に人懐っこく、他者依存的で単純だった。
 噂話での聞きかじりだが――彼女は中1の時、2つ上の男と付き合っていて、男の誕生日前に「特別なプレゼントを用意している」と何度も何度も鼻高々にほのめかしておきながら、当日になって男が問い正せば気まずそうに「家に忘れた」などと言う。じゃあ家に行くよ、と男が言うと更に目に見えて慌てだすので、男の方は「これは結局何も買ってないんだな」と幻滅してため息をついた。その男の様子にあたふた焦燥した彼女は、目を潤ませて俯きながら言ったそうだ。
「ごめん。間に合わなかった」
 何かと思えば彼女は鞄から裁縫本を取り出して、「手作りマフラー」のページを泣きそうな顔で指差したと言う。
 噂で聞いた話だ、信憑性はわからないが、納得してしまえるものがあった。馬鹿な彼女の幼気な行動を得意そうに語る男の姿まで想像できる。こんな恋人同士の話を僕のような末端までもが知っているということは、その男が流布させたので間違いないのだ(わざわざ書かないが、彼女についてはもっと猥雑な語られ方の方が圧倒的に多かった)。
 しかし件の男ともその後数か月しか続かなかったようである。振ったのは確か彼女の方からだった。根が放蕩女に出来ている彼女は、自らが相手に尽くしきったところで別の承認を与えてくれる者――年上であればある程彼女は興奮した――が現れれば、振り返りもせずのらりくらりと吸い寄せられる。傲慢なのに、恐らくとても従順で、だからこそ自分の整った外見を駆使すればすぐに発生する承認に、病みつきになってしまっているのだろう。決して善人ではないのだが、なんていうか毒が無く無軌道なのである。
 毒の無い美人など食い物にされるだけだ。あいつは食い物だった。盗撮くらいされていて当たり前だとすら思える。誰が見ても平均以上には可愛い顔をしており、それゆえに自分も驕り高ぶっているくせに、その武器を上手く使えない奴。中学生にその気で寄ってくる男などろくでもでもない男しかいないのに、ことそういう話に限っては制止する他人の言葉より自分の内部の激しい衝動の方を信用した。自分への驕りが自分の大安売りに繋がっており、遊び人と言うと主体的だが、厳密に言えば遊ばれ人、紛れもなく彼女は玩具だった。もっとも、彼らのようなコミュニティーではお互いがお互い玩具であるのが当たり前なのかもしれないが。
 真人間の僕は周囲のそういう話を聞くたび相当引いていたが、不思議なことに彼女に関しては、引くことによって好感が減じることはなかった。ただ「引く」だけ。恋仲はおろか彼女とまともな交流すらない僕にとっては、彼女の色香にクラつくこともなければ、彼女を更生させたいなんて思うこともなく、彼女は相変わらず「ちょっとヤバいがそれだけの女子」だった。大学の頃には彼女からFacebookの友達リクエストが届いた。そういうところは相変わらず良い奴だ。4、5年振りの彼女とのやり取り(ボタン1つだが)に多少逡巡しつつも、僕はリクエストを承認した。当然ながら彼女はあの頃よりいくらか大人びて、髪は金髪に近い茶髪に染め上げていたが、元の顔で十分なのにあからさまな写真加工を施した上目遣いのピン写をアイコンに選抜しているところが、依然として馬鹿っぽくて良いと思った。特に目立つ投稿はなく、僕の方もFacebookは放置しているのでそれきりだ。
 にも拘わらずあの子を今でも時たま思い出すのは、僕が深層心理であの子にちょっと共鳴をしていた証左であるだろう。該当する節は確かにある。僕の中で彼女は「未発達性」の象徴であり続けている。破裂しそうな危ういイメージ、ちょっとの刺激で取り返しのつかない向こう側に行って戻らない可能性がずっとある、そんな瀬戸際のシンボルだった。現実の彼女はきっともう瀬戸際どころか遥か彼岸、僕と全く異なる世界に行ってしまったろうが、それでも僕の中の彼女はまだ取り返しのつく中学生に他ならないのだ。
 ピーポーピーポー。救急車の発する危険信号、粗末な裸の肉体、曝け出された弱々しさ、他人に救済されるしかない無防備な存在。空教室にちんまりとした一個の愚かで美しい身体。いつのまにか自由を奪われた猥褻な肢体。誰もが羨むものを持っているのに高等になれない卑近性。あの子のことを思い出すと、身につまされる狂おしさがする。


 ……昔からそうで、きっと同じような人が山ほど、星の数ほどいることだろうが、僕は時々、結構な時々具合で、言葉を間違える。言葉の選び方が下手くそだ。感情みたいなものは頭の中にチカチカ光って明滅している感覚があり、その中から場に相応しいものを発言として臨機応変に選べばいいのに、僕はそれらが光ったと思った途端、そのまま口に出してしまう。光ったんだからコレを出すべきだろって、そういう直観が働くのかもしれない。でもその直観は、僕の場合、多くが間違いだ。だって、言った瞬間周りがサーッと静かになったり、ゴルゴンでも見たかのように石化したりする。ああいう時の皆の白い目を見ると、僕もサーッと血の気が引いて、自分が今さっき口に出した言葉を両手使って手繰り寄せ、口の中に無理くりにでも戻したく思う。しかしそんな芸当ができる筈もなく、往々にして僕は「空気の読めない奴」になってしまう。それこそ中学時代から僕はずっとこれを恐れてきて、今だって恐れているが、恐れているわりには何度でもこの状況に陥ってしまい、僕の人間性には幼児的だとか空気読めないとか、そういう評定が下され現在進行形で強化されていっている。
 それでも、恋人くらいは出来たことがあった。大学一回生の輪読ゼミで一緒になった法学部の女子。女が2人、男が5人のゼミで、明らかに見た目はもう1人の女子の方が上等だったが、僕は昔から――言い方は悪いが――どちらかと言えば「ハズレくじ」の方に妙に性的に惹かれる節がある。高めの女ではなかったが、地毛っぽい亜麻色の薄い髪とおどおどした吃音的な喋り方にたまらなく魅了され、僕の方から好きになり、玉砕覚悟で告白したところ案外すんなり事が進んだ。
 ただ恋人だって結局のとこ人付き合いで難しいのだ。ある時、彼女が具合が悪くてデートに行けないと言うので、通常こういう場合は男が親身になる姿勢を見せた方が良いだろうと考えた僕は得意げに看病を申し出たが、にべもなく断られた。次の日「インフルエンザだった」と告げた彼女のLINEへの返事に困り、「インフルエンザ。そうか、インフルエンザか」とぼうっと想像した挙句、僕はインターネットで拾ったインフルエンザウイルスの拡大画像を彼女に送り付けてしまった。病院の待合室でその僕のLINEを目にした彼女は、怒りで体調が悪化し卒倒しそうだったと言う。そして僕はそれを聞いて「病院で卒倒とは傑作だ、すぐに手当してもらえるではないか」と思ってしまい、気の利いた冗談のつもりで口に出したら、またも声にもならない苛立ちを見せて彼女は怒った。
「そういうところ、ほんと信じられんない」
 ……間違っていたというのは今はわかるが、そんなに致命的なことか? でも、間違えた自分だけは意識せられて不愉快だ——こうしたことが積み重なって、半年後には振られてしまった。もはや僕の方も、未練は無かった。無いと思う。
 人付き合いに正解など無いと人は言うが、何度見直しても僕以外の人はだいたい皆、上手いこと正解を引いているように見える。恋人とのやり取りみたいに一対一であれば、僕はただ「無神経で不愉快だがなんだかんだ恋人にするだけの魅力が残っている男」になれる。しかし衆目のあるところだと、自分が寒い奴、ありえない奴というコンセンサスが一瞬で形成されてしまい、評価を覆すことが難しくなる。大人になればこうした経験は減っていくのかと思ったが、依然、皆は正解を引き、僕は不正解を繰り返している実感しかない。人はそれすら気のせいだとでも言うのだろうか。だとしたら随分冷たい言い草だ。
 僕はああいう時、上手く出来ない挫折感――自分の身体が他人および公衆に所有されるような被侵略感覚――に打ちのめされるが、ああいう時にもごくまれに、僕はあの子のことを思い出している気がする。勿論あの子と僕は人間の種類が違うし、抱える苦しみの質も違うが、自分の未発達性を意識する時、彼女の姿が僕の胸中を掠め僅かに勇気づけてくれるのだった。それはある意味お守りのような存在かもしれないが、そんな綺麗な形容では足りず、下には下がいるという優越感覚ともまた違い、言わば傷の舐め合いの精神的な列席者だった。仕事で車を走らせている時、郊外の街並みに唐突に現れる球形の高圧ガスタンクを見るたび、僕はプスッと刺してみたくなる。とても街並みに溶け込めていないのに当たり前のように並び立ち、破裂しそうな高圧ガスを溜めているその姿にはちょっとゾクゾクするものがあり、ああいった感覚が彼女が呼び起こす感覚に近かった。
 こんなことを日記に書いたのは、先程こうして風呂場で彼女のことを思い出し、いま思い付きで彼女の本名をネット検索したことに端を発する。
 意外でもないがすぐに彼女と特定できる人物に当たった。なんと実名で公人として活動しており、関西を拠点にちょっと変わった恋愛や暮らし方にまつわる文章を書くWebライターをやっているらしい。文章は数件読んで恥ずかしくなるような空行だらけの代物であり、きっとこれ以外にも生活のツテがあるのだろうなと想像せずにはいられないフォロワー数だったが、フッターに添えられた丸いアイコンに彼女の子犬のような可愛らしい顔がちんまり収まっているのを見ると、愚かさに癒されるような感覚を覚えた。このような虚業を実名顔出しででやれる思い切りの良さとつけ上がりやすさが相変わらずで愛しかった。有料購読などしてやる義理は毛頭ないが、今度彼女がインターネットで炎上したら、それを見て元気になろうと思う。盗撮されて快楽を覚えていたような中学生女子だったのだから、掘り出されればマズイことはいろいろあるに違いない。それでも僕の彼女への感情は未だ「引く」ことはあれ軽んじる理由は何もなかった。彼女の歩く道に幸いあることを願える。
「盗撮された自分の写真、見たことある? ――階段の下からとか、ドアの隙間からとか、想像だにしないアングルの写真。最初、自分だって気づかないの。これが自分なのかって驚くの。でも自分だって気づいた時、途端に、恥ずかしくて恥ずかしくて、心臓が辛い物食べたみたいに、全身赤くなっていく感じがするんだよね。それが嫌で仕方ないんだけど、でもなんか、ずっとこれから逃げてきたようで、ずっとこれを探してたみたいな、変な感覚もあって、なんか……こういうのが中毒って言うのかな」
 綺麗な思い出には勿体ない女だ。代えもきかない。土台、人間というのは何かの間違いだ。
 彼女は一人で教室にいた。誰を待っていたのかなんて僕にとってはどうでもよいが、あの教室は今もあり、目には見えない汚れた糸で繋がっている。知らず知らず不正解を引き続けている半端者同士。