取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

流行への文句

職場で『鬼滅の刃』の話になり、「あまり好きじゃない」(オブラート)と話したら、「意外。少年漫画だから好きかと思ってた」とちょっと見下した顔で言われた。
いや…舐めないで頂きたい、と憤りたい気持ちをグッとこらえて苦笑いだ。なぜなら私がやりたい見返し方はソレじゃないから。こういう瞬間の肺腑をえぐる悔しさ、それだけが私を突き動かす。


まあそんなことはどうでもいいとして、鬼滅の刃の最終巻をちゃんと読んだ。例によって人様に借りての拝読だが…。最終巻、特に最終話には尋常小学校の教科書に載っていてもおかしくない富国強兵の世界観が美化されてナチュラルに展開されており、結構衝撃的だった。誰かが「ビルドゥングスロマンの形をしているのにトラウマでしかキャラを構成していないから未来が描けない」と指摘していたらしいが、とても鋭い唸る意見だ。
やっぱり前時代的、家父長制的な価値意識が充満した作品だと思うが、これが日本で過去に例を見ないほど爆発的に売れてる訳だから、そういう意味ではスカッとするものがある。ポリコレポリコレと皆言いつつ、結局人が熱狂するのはわかりやすく古い典型を煮詰めたものなのだ。そのことがこれ以上ない形で背反的に証明されたと、私は勝手に合点している。


実際アップデートやなんやかんやと言われていても、蓋を開けてみた時に国内で数字を獲得している作品を頭に思い浮かべてみれば、化石じみた古さを持っているものが案外多くなかろうか。
テレビ番組とか映画とかゲームとか音楽みたいに、個人ではなくチームで制作していて、かつアクセスしやすい商業主義的な媒体となると特に世論の影響をダイレクトに受けやすい(というか、アンテナを張り巡らせざるを得ない)と思うのだが、その媒体内で見てみても、トップクラスで売れてる作品は正直「古くてヤバイ」「古くてキモい」のどちらかを持っていることが割合として多い。


現にいま鬼滅の映画がとんでもなく売れているし、去年国内で一番売れた映画も『天気の子』らしいし…。テレビはあまり見ないのでテキトーだが、数カ月前に最後に見た時にも多少人倫に悖ると言えなくもない企画が普通に見受けられた(『幸せ!ボンビーガール』とか)。音楽だってPretenderという「恋人の見た目は好きだけど性格が好みじゃない」という内容を婉曲的に表現した歌が昨年一世を風靡したかと思えば、今年は『香水』『別の人の彼女になったよ』などという、去年が可愛く見えるレベルに浅はかな曲が大流行した*1
ゲームにおいては国内シェアトップの任天堂がかなりグローバルで誇り高く裏表の使い分けも完璧なので、男性顧客が多いにも拘わらず業界全体も意外な程ちゃんとしているが、それでもスクエニの大人気シリーズ最新作『ドラゴンクエスト11』はいろんな意味で伝統的で、お約束のずっこけセクシーギャグが未だに満載。今年頭の『FINAL FANTASY ⅦR』(スクエニ)はギャルゲー要素を残したままだし、出たばっかりの『桃太郎電鉄〜昭和 平成 令和も定番!〜』(KONAMI)には言うまでも無く昭和の雰囲気が蔓延している*2


そういう作品が売れること自体は健全なことだし別に良いと思う。先述したように胸がすく清々しさがあるし、極端なネットの世界じゃ見えづらい生身の人の寛容さ、緩さが裏打ちされている。それに、これらの作品が売れている根幹の理由はそうしたヤバさ、古さとは別のところにあることが多い。Pretenderのキャッチーなメロディーは音楽に疎い私ですら優れているとわかるし、香水だってドルチェ&ガッバーナという単語をあのリズムでサビに乗せてくるところが新しくて絶妙。ドラクエ11に関しては自分でもプレイしたが非常に緻密で誠実な設計がなされた面白いゲームだ。キャラ造形もテンプレの中にきちんと魅力的な奥行きがあって素晴らしい。お色気ギャグなどこの作品の本質では全然なく、枝葉末節を彩るちょっとしたファンサービスに過ぎない。見ようによっては邪魔な装飾というだけだ。


ただそうした作品のうちに、無邪気で前時代的でステレオタイプなまさにその部分を根幹として売れている作品がたびたびある。鬼滅の刃はその最大例だと思うので、だから私はこうしてねちねちとブログで文句を垂れている訳だ。増して自称リベラルの方々ならばもっと怒っていなければおかしく、豊田真由子ばりに「ちーがーうーだーろ!!違うだろーーー!!!」とバーサーカー状態で怒ってほしいのに、概観したところではあまり怒っている人はおらず、むしろ絶賛している人までいるから逆にこちらが「違うだろ!!!」とバーサーカー状態になってしまう。


主張の筋を通すなら真に非難すべきところがあるのにそれを非難しない人というのは、彼らが結局のところ権威に弱い教条主義的性格であること、彼らの普段の主張には統計ではなく感情が先行していることの証拠であったりすると思う(鬼滅ブームとかは統計どころか生きてれば肌で感じるレベルの爆発的数字)。そしてドラマの狡さ浅薄さを見抜けない。例えばさだまさしの『関白宣言』のように題名から自己紹介してくれているある意味親切な歌のヤバさはわかっても、『香水』のように夜中にいきなり元カノからLINEが来てその後普通に会っているくせに「別に君を求めてない」とかほざいてる歌のヤバさは見抜けない。地雷のように巧妙な、しかし本質的に問題があるものに気づけないのだ。時には無自覚のままに魅力まで感じてしまう*3
想像力を働かせすぎかもしれないが、ここ数年そういう構造の評価によって売れているものが多くないだろうか。


大衆的な作品のブームに対しては、インテリぶって「やれやれ」だの「世間は馬鹿」だのと嘆くより「なぜこれが人々を惹きつけるのか?」というのを憤りながら考えたい。鬼滅みたいなジャンプ漫画なんかは商業主義の極北であるが、それでも作家や編集達は数字と品質の両方を最大限に達成しようという信念の下に努力し探求しているのであり、その結晶が世のムーブメントだ。そういうものを偉そうに一笑に伏す感性は自分にも多分にあるが悪癖と思う。実際売れているのだから自分も文筆の末端にいる限りはその理由の方を考えるべきであり、そういう考えに基づいて私もこうして読まれないブログでたまに私見を残している。
でもなかなかどうしてプライドが邪魔するところはあるな。…漫画はともかく、結局今年も国内の人気小説はほとんど読めなかった。酷いダブスタだと我ながら思うが。



ウダウダとここまで書いたけど、「お前何様?」と言われてしまえば現状は平謝りするしかない身分だ。冒頭に戻るが、本当に私がやりたい見返し方はコレでもなく、やはり他人を「わからせる」には実績によってでしか格好がつかない。来る2021年に少しでも成し遂げたいものだ。





余談

作品媒体の種類自体に優劣はないと思うので、畑違いの媒体のトレンドから見えてくるものもある。自分は個人制作の媒体を好む傾向にあるけどそれも主観的な選好に過ぎない。ただ優劣はなくても媒体それぞれの特徴が結果する差違や偏向性は明確にあり(媒体の衰退による品質低下も当然ある)、各媒体における金銭授受がその偏向性への入国審査と化している。さながら「このメディアについて了承しましたね」という現世との手切れ金みたいだ。それを求める人の熱量とリテラシーを、「それのために金を出せるか」という基準で審査し信用している。


個人制作かつオフライン媒体かつ、比較的高尚(笑)な分野として認知されている文学は、やはりこの入国審査の厳密性が今なお割と維持されている。文壇知識皆無なので有名どころだけの印象の話になるが、村上春樹とか筒井康隆とかはインテリジェンスが前面に出ているため前述のような巧妙な地雷感があり、非難されにくいのもわかる一方、西村賢太なんかはもろにヤバイ作風であり、読んでると女性として相当不快な表現に頻繁に出会す。界隈の非難対象として舞台に引き揚げられていないことが奇跡と思えるほどだ。彼の小説は根底にまともな客観性、戯画性を有して紙一重で成立しており私はそのバランスを面白く上質と思っているが、昨今の情勢を鑑みれば糾弾の篩にかかっていないのは相対的に違和感がある。そのくらい、文学という分野の入国審査が実に上手く機能している好例だ。*4



逆にイラストや一部の漫画のように個人制作で(時には無料での)オンライン鑑賞が可能で、しかも文化的地位が比較的低いとされてしまっている分野だとビザなど無いも同然であり、環境上どうしても非難を浴びやすい。しかも媒体の性質が視覚に訴えるショッキングなものなので舵取りが輪をかけて難しい。そのため皆発表の仕方を工夫していて、pixivなどでは目を見張るほど網羅的なゾーニングがなされている。pixivのROMは私も大好きで、不詳の人々が自分のためだけにリビドーとカタルシスを昇華しているのが面白い。たまに度肝を抜かれる掘り出し物に出会うし、才能が同人に流れてしまってる、と感じることもある。ただpixivを見ていると、魑魅魍魎は自分が魑魅魍魎であると自覚していることを強く世間に求められ、更にそのことを承知していることをもまた世間に求められるのだと実感させられてばかりだ。タグ操作、注意書き、レイティング、伏字等々、考え得る限りの涙ぐましい努力がpixivという箱の中で張り巡らされ、女性作家の場合は特にそれが際立って細密で、卑屈なほどに人目を忍んでいる。自分がエログロナンセンスを異常に好む女であることへの厳しい自覚と鬱屈がそこにありありと感じられ…彼女達をもっと知りたくなる。

*1:でもYouTubeのコメントを見てみると視聴者にも歌詞はよく嘲笑されているので、ある程度は皆わかっているのだと思う。香水のコメント欄はかなり面白い

*2:ちょっとゲーム実況を見ただけなので乱暴な認識かもしれない

*3:それに魅力があるという事実こそ感じるべきだ。

*4:加えて、ああやってあまりにも明白に開き直られると逆に責めを負わせづらい、という空気感みたいなのもあるかもしれない(行為よりも発言の不道徳性の方がblameworthyと見なされやすい、ネット特有の滑稽な逆転現象と似た原理)。