取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

玄関を開けたらいる人

平日20時にインターホンが鳴り響くのは異常事態だ。危うくパソコンにお茶をベタベタ零しそうになった。
この時間の心当たりないピンポンなんて普通は居留守するのだが…一応と思いモニターを確認してみたところ、意外にも私服姿の若い女性の所在ない頭が魚眼レンズに映っていた。しかも諦め悪く2度も3度もピンポンピンポン鳴らして来たので、物珍しすぎて何やら事件性すら感じ…逆に思わず返事を返してしまったのが良くなかった。

「株式会社〇〇の△△と申します。建物のことでお知らせがありまして、2分程お時間お願いします」

なんてことない、ただの訪問営業だった訳だ。何度聞き直しても聞いたことない会社だし、やはり玄関に出る必要はない。なのに出てしまった。「建物のこと」とか言われると、わかっていても一抹の不安が過るものだし、たとえこの訪問者が危険人物であろうが女相手ならどうにかできるという油断もあった。正直言って若い女というだけで、出てもいいかと思ってしまった。用心として玄関の傘に手を当てながら臨みはしたが。
玄関先にいた女性はインターホンで見るにも増して「大学の後輩」感に溢れていた。多少フォーマルを意識しつつも安っぽいピンクのチュニックを着た茶髪の女性。風貌や佇まいの素朴さからして年下なのは間違いない。
驚いた…というか、一瞬驚いたけどすぐに納得したことがひとつある。30代とおぼしきスーツの男が後ろに控えていたことだ。一瞬驚いたけどすぐに納得した。やっぱりドアは開けちゃいけない。

「無料回線のことでお話がありまして。今インターネットはどちらのものをお使いですか?」

ネット回線系。まあそうだよな、でも嫌だ…。人を突っぱねることというのはそこにパッションがあれば享楽になるが、作業になるとどっと疲れる。女の子相手など猶更だ。
ただこういう系の話なら、断りやすい理由があった。

「アパートの無料のを使ってます」

言いやすいのは事実だからだ。入居当初はまだネット回線がなくモバイルwifiを別で契約していたのだが、しばらく前に一斉工事が入って私は晴れて無料インターネット環境をものにしていた(ただし導入時期が私のモバイルwifiの契約期間とかなり都合悪くかち割ったため、プロバイダとの解約にあたり1万弱の違約金が発生した。強い商売なり)。特に速度も気にならないし、家賃の上乗せもなかったし、私は「アパートの無料の」で良いのだ。

「あっ、え、無料のですか。えーと、無料だとですね…えっと」

女の子は見るからに狼狽して、誤魔化すようにぎこちなく笑う。焦り始めるのが早すぎるのでこちらも笑いそうになってしまった。ここが無料回線備え付け住宅であることはアパートの入り口付近の看板がそこそこわかりやすく伝えてくれている筈なのだが…でもこれで本当に新人なんだと理解できたし、気まずい時や困った時にとりあえずニコニコしてしまう感覚だってよくわかる。というか自分の悪癖でもあるので、シンパシーじみた好感を覚えてしまった。
困った彼女はせがむようにチラチラ後ろを見遣る……満を持して先輩の登板だ。

「すみません、彼女新人で」

背後に控えていたスーツ男――20年前のミヤネってこんな感じだっただろうな、と思わせるネズミ系の顔のスーツ男がフォローもとい選手交代で話し始める。元より本丸がそちらだと言うことはドアを開けた瞬間から「言葉」でなく「心」で理解できた(cf. ペッシ)。耳障りな程に流暢な彼の喋りを聞き流しつつ、どうやってドアを閉めようかなと悶々とする。こちらが目を逸らしてもどこまでも追いかけてくる迷い無い眼球の動きは思考の邪魔で…彼がこれまでにこなしてきた回数を物語っていた。

「今ご利用の回線と同じように、うちも去年の□月からお客様負担がご無料に切り替わったんですよ。チラシの方はご覧頂けましたでしょうか。しかもお引っ越し後も継続できます。やっぱり住宅の備え付け回線となりますと、速度の問題もそうですが、お引っ越しされたら終わりますでしょ。引っ越しのたびにネット環境ある住宅をご自分であれこれ探されたりして…結構大変かと思うんですが」
「同じ無料なら、お姉さんはどっちがいいですか?」

明らかに年下の女の客をも「お姉さん」、と呼ぶタイプ。しかも強引に疑問を投じて二者択一を揺さぶりかける最後の台詞の不誠実さは決定的だ。こう来てしまえば簡単だった。苛立ちというパッション成分が人への拒絶に娯楽をもたらす。無碍に追い返しても心が痛まない相手は楽だ。相手も自分も傷を負わない。

「仰ることはわかりましたが、今のままで不便ないので。すみません」

私がそう言うと女の子の方は苦々しくしかし愛嬌を保ったままに「そうですかー」と笑っていたが、ミヤネの方は瞳にちらと不快の色を走らせた。頭の中では舌打ちしてる、そういうのがまざまざ伝わってくる顔の強張り。男の人のああいう真顔ってほんと嫌だね。今から暴力が始まるかもって直観的に思わせてくる。それで本当に暴力が始まったことは流石に今のところ一度もないが。ミヤネの人も「そうですか」と引き下がり、私も徐にドアを閉めた。終了、終了、閉廷である。


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上記は昨日の夜の話。ああいう時ってスカッと感もゼロではない(結局ウザい人だったので)けど、人に強めの言葉を放ったという罰の悪さが頭をもたげる。何より今回は年下の女の子が相手にいたのが絶妙だった。もしあのミヤネの人がついていなくて彼女一人の訪問だったら、私はどういう対応したかなとぐるぐる考えが廻ってしまう。女の子の方は本当に普通っぽい、素朴な女の子だったのだ。彼女もこれからミヤネのように、染まり仕上がっていくのだろうか? ……軽はずみに共感するのは危険だが。


単身者向けマンションの訪問営業というのは大概が悪徳業者と思うし彼らもそれに違いないけど、開けてしまったドアを挟んで実際に直接話を聞くと(持ちかけてくる内容はともかくとして)彼ら一人一人にのっぴきならない生活の苦楽があることが眼前に浮かび上がってくる。訪問営業なんていう普通は絶対やりたくないキツイ仕事を毎日毎日こなす訳だし労働量もえげつない。真面目にコツコツ働いてる…と言えなくもない。あの二人だって私がドアを閉めた後、多分ミヤネの指導が入った筈だ。「ああいう時、ああいう手合いの女には云々」とか、「ってかここ回線入ってたのか。もうやめだな」(←笑)とか。


あの女の子なんであんな仕事してるのかな。想像もしかねる…のに想像せずにはいられない。ネット回線とかどうでもいいから、半生教えてもらえませんか? 危ない目に遭うことあるんじゃないですか? なんて、それこそお客様気分で彼らを消費したくなった。馬鹿げてる。私が救いたいとか思う人って、いつも救われたがってない。雲上人気取りも大概だ。
まさかあの新人振りも演技だったらどうしよう。人間らしいところを見せられると拒絶しづらいとか、女は女に身動きが取れないとか、そういう弱みに漬け込む芝居としたら。もしそうならあまりに名優現るすぎるし、こんなアパートの前なんかでくすぶっている場合ではない。いや、誰だってこんなアパートの前でくすぶっている「べきではない」。



(記事のタイトルは有名な阿佐ヶ谷姉妹のネタの名前)