取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

トンネルを歩く

 歩きながら夢を見た。夢の中で俺は蛹だか繭だかで、前脚で膝を抱えて丸まりながら、胸の内にこもったジクジクした体温上昇を感じ取っている。目を瞑っている。夢の中でも眠りに就いて、とろりとした快感の味が魔術みたいに染みてくる。ヤバい気がする。目を開けてみる。夢の外の俺が目を開ける。男は自分がそもそも眠っていなかったことに気づく。
 隣町へ繋がる全長6kmのトンネルを歩き始めておよそ――30分くらい経った筈だ。駅からバスに乗っていればうたた寝しているうちに通過できるような道だが、山岳ひとつをくぐるトンネルであるだけに歩道で渡るとなれば一端の距離になる。車は体感30秒に1台は横をザギューーーン…と走り抜けているが、見える範囲で自分以外に歩道を使っている者はいなかった。それで良い。こんな逃げ場のない半暗闇で生身の他人が接近したら互いに恐怖にしかならないだろう。
 おざなりな舗装だ。足取りは決して快適ではない。抜ける頃には足首が痛くなっているんだろうなと男は想像する。しかも苦労して歩き抜いた先には老齢の母親が死を待っていると思うと余計に気が滅入った。
 轟々とした暗闇の中、トンネル上部に等間隔に設置されたきついオレンジ色の照明がひとしおに温かく感じる。最初は通過するごとに照明の数を数えていたがいつの間にか止めてしまった。代わって思い出すのは幼い頃、男が親の車でトンネルを通る時、後部座席からこの照明をじっと見ていたことだ。車の速度だと光が繋がって線みたいに見える。それを眺めるのが好きだった。
 暗闇を歩きながら想像する。例えば今この瞬間に土砂災害でも発生し、トンネルのコンクリートが決壊したら、崩れ落ちた土砂が出入口を埋めてしまったら、自分はこのしょぼいトンネルに閉じ込められてじき死ぬだろう。このバカでかい管が俺を内包している限り、管の心肺停止は俺の生命に直結している。男はこういう関係性を知っていた。生まれる前から知っていた包含関係。けれどもその関係性は生まれた直後にすぐさま本質を失い、徐々に徐々に歳月をかけて希釈せられ、逆転もできず今となっては機能不全だ。
 人がそういう包含関係に飛び込む時の動機を俺は理解している。何か自分より素晴らしいもの、自分より大いなるものに隣接したいのだ。その中に入って行きたいのだ。例えばピアノの音を聴いているとその気持ちが満たされる。例えば古典小説なんかを読んでいる時も。例えばトンネルに入って行く時も。
 昨秋に父が死んでから、母は急速に老いて衰弱した。母が衰弱するその速度に、遥か都市で着々と進行する男の暮らしは追いつくことができなかった。それだけのことだとはわかっているが。
 ザァーーー………ザ、ザ、ザ、ザ、ギューーーギュン………ーーーー。
 考える。考えるうち俺の姿態はまたもや繭だか蛹になる。俺の体から管みたいな蔓がにょきにょきと生えては俺の体をすっぽりそれで包もうとする。しかしこんな芸当をしてもただの茶番に過ぎない気がする。地に足をつけて歩けと人は言うが、森羅をくりぬいてその中で歩を進めているだけだとしたら、この時の地とは一体何なのか。
 トンネルは開かない。死体の数は2つに増える可能性があるがそれは避けなければならない。俺はあと20分くらいでここを脱出する。抜け出さえすれば生まれ変わることができるのだ。