取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

5月某日日記

 7時過ぎ起床。風呂に入らないまま寝てしまったので朝風呂。
 8時過ぎに家を出る。最近健康とダイエットのために「あすけん」アプリを始めたが、朝食を食べない人間なのに毎日「朝食の内容を記録しろ」という通知が届くのが鬱陶しい。朝食を食べないのはポリシーでも何でもなく、そちらに時間を充てるくらいなら睡眠時間を長くしたいという横着に依るものなので、そりゃ食べた方が良いのだろうが。朝食などというこんな面倒くさいことをよくみんな朝にやっているもんだ。

 出勤、外出準備、外出。訪ねたのはやり取りもルーティン化してきた仕事相手で、あまり手応え無し。板についたと言えば聞こえはいいが、何か変化を起こす必要がある。何か…。
 考えていると、その検討はまた今度にして何かいつもと違うものが食べたくなった。こうなってちゃ世話ないが、でも食べたくなった。
 朝食を食べず、かつダイエットしたい、となると、昼食をお腹いっぱい食べて夜を控えめにするしかないので、昼を豪勢にする立派な理由が出来る。付近の店をgoogle検索し、帰宅ルートから少し寄り道して着く洋食屋に入店。駐車場の空きが1台だけ残っていて運が良かった。
 混雑中とはいえ予想外に提供時間が長かったが、ウエイターの接客は執事みたいに細やかだし、待たされて出てきた料理がこれまた予想以上に美味だったので気に入った。後で調べたら食べログ3.5の店だ。思いがけない掘り出し物、絶対また行く。あすけん用に写真も。
 
 職場に帰宅すると机に見覚えのないこんもりしたA4封筒が置かれていた。触ると中がふんわり柔らかい。怪訝に眺めていると周囲がクスクス笑っている。封を開いてみたらタオル生地の小さな鞄で、客先納品用のノベルティーだという案内書きも同封されており「ふーん」と思った。鞄を封筒に入れるという逆転が確かに面白いし、後輩が案内を読まずに自分のものにしようとしていたのも面白かった。

 ひたすらメール。1年くらい前から仕事のメールには出来る限り早く返すようにしているが、それによって明らかに仕事が増えた。その中で気づいたことが1つある。私は正直言って仕事が出来る方ではないが、それでも仕事が出来ると思い込むことによって仕事が出来るようになる、そういうバグがこの世にある気がするのだ。
 一種の自己暗示なのか、さも仕事出来る人っぽく振舞っていると周りも勝手にそういう風に扱ってくれたり、信頼してくれたりすることがある。信頼されるとこちらもますます鼻が高く、きちんとこなさなければと気が引き締まって気持ちよく働ける。全てが反応、全てが連なる。だから渦みたいだ。ズズズ…と勢い良く呑みこまれていく螺旋状の流水パターン。前まで私は集団というのは究極的には固まった一個の人間の単なる集まりに過ぎず、だからコントロールが難しいのだと思っていたが、実際は、人間は人間の中に置かれると固体ではなく液体に近い生き物になる。ひとつの形を維持せず移ろう。液体だが生きている。液体が混ざって出来た液体までもが生きて蠢き藻掻いている。人が混濁した波になる。


 今日やるべきことの目途があらかた付いたところに、名前を聞いただけで「うっ」となる相手から電話。大した関わりは無いが、やり取りがいつも噛み合わないのだ。
 でも、今日ほど噛み合わないこともなかった。最悪な電話。某商取引の結果が酷いので、事前に合意していた条件を覆したい、いや、覆してくれなければおかしい、というようなクレームだった。せめてこんな結果になった理由を説明しろ、それ次第で考える、と言われ、説明すれば「その説明では納得できない」と言う。異様なまでに断定的で、少々誤解もされているようだったので、こちらが補足説明をしようとすると、説明の途中で「先程の説明では納得できない」と言う。いやだから今その説明を補足しようとしており、つまりどういうことかと説明しようとするとまた「先程の説明では納得できない」とロボットのように遮ってくる。決められたテキストしか出力できないRPGの登場人物さながらに機械的なのに、声には人間のヒステリックな怒気がべっとりこびりついている。
 元々こちらの説明を聞く気など無く、自分の言いたいことだけ言いたいのだ。それなのにわざわざ「説明を聞く」と言ってくるのは、そういう寛大さを見せるというエクスキューズに尽きる。喋り方が完全にトランスしている。こんな状態で話など成り立たないので、メールすることにして受話器を切った。
 
 どうすれば良かったのか考える。高齢男性に電話口で怒鳴られたのは初めてではなく、何回かある。女性に喚かれたことも勿論ある。しかし、対面で同じような目に遭ったことは無い*1。怒鳴ったり喚いたりしてくるのは、常に面識の無い電話口の人だ。若い女であるというのは、視覚情報を伴う対面での接触となるとメリットになることが多いが、電話のように視覚情報が失われたコミュニケーションにおいては逆にデメリットになる。電話だとどうしても、相手方が高圧的になりやすい条件が揃ってしまうのだと思う。結構なことを言ってくる。悲しいのは、私が実際はもうそんなに若くないことだ。
 電話でキレる人に対しては「落ち着いてただ平坦に謝ればいい」と言う人もあれば「同じくらいキレながら謝るといい」と言う人もいるが、こちら側にそこまでの非が無い場合に謝ってしまうとこちらの立場が弱くなる。だから本当は謝りたくないが、私はまだ反射的に謝ってしまう癖がある。キレながら謝る(申し訳ごさいませんでした!!!!)というのはその中間を取った形なのだろうか? 前の上司は「そういう時はひたすら鸚鵡返しだ!」と言っていて、一度実践してみたが、私の練度が低かったのもあり「鸚鵡返しするな!」みたいなことになって失敗した。結局、上手くいくかどうかは相手と自分のキャラクター次第でしかない。

 基本的には人に恵まれているので、質が悪い人間と巡り合うことはあまり無い。だから稀に遭遇するとまだ狼狽える。狼狽えた後、自分の周囲にいる人々を思い返して彼らがいかに出来た人々かどうかを改めて実感することになる。
 ちょっと前、アルバイトを雇って1か月くらい現場指揮する仕事をしていた。その時、特に私が指示した訳でもないのに、日々の業務をより正確に効率的に行うための些細だが的確な工夫や決まりをバイト達が毎日毎日新しく増やしていくのを見て、ある日ハッと素晴らしいなと思ったのだった。それは小さな業務でもみんな昨日よりマシになろうとしているということだと気付いた。当たり前のようで、目が開ける驚きだった。強くなることを他人に高圧的になることと勘違いしてる人も多い中で、人が昨日よりマシになろうと志向できるのはほとんど奇跡のように思えてくる、そんな時がたまにあるのだ。それは文明の音色だった。

 電話が尾を引き、気分は晴れないが、20時半退勤。コンビニでおにぎりを2個買い帰宅後食べる。あすけん。そして健康とダイエットのためのリングフィットアドベンチャー。自分が健康になろうとしていることを改めて意識すると笑えてくる。滑稽でしぶとい感じ。でも良い傾向の筈だ。続ければ自分も昨日よりマシになれるような保障を得られる。
 しかし、明日は多分、メールの返信が来る。もうひと悶着あるかもしれない。あーヤダヤダ。明日はもっと酷いことになるかもしれないのに、少しでもマシにしようとするなんて結局のところ馬鹿みたいでもある。向かうもの全て引きずり込める巨大な黒い渦になれたら。
 ちょっと酎ハイ飲んで、寝る。

*1:本当は全く無い訳ではないが、対面で人が声を荒げる時はなんていうかもっとわかりやすくシンプルだ。電話口の得体の知れない存在ではない。