取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

結婚ラッシュを受けて

11月下旬あたりから知人の結婚報告が続いている。
入籍届に指輪を添えた写真がTwitterにあげられたり、既に終えた結婚式の模様が大変な高画質でFacebookで報告されていたり、急に「来年10月○日空いてる? 結婚式するから来て」とLINEが来たり(空いてるとかいう問題じゃない)形は様々だが、この数週間で6件もそれがあった。見逃しもあるだろうし、まだ来るかもしれない。


めでたい話が多いのは良いことだし、年齢が年齢なので誰も意外じゃないとはいえ、何でこう立て続けに?…と不思議だったが、「そう言えば11月22日a.k.a良い夫婦の日があったからか!?」と感付いた。みんな案外そういう願掛けするのか? と思うと、何とも名状しがたい感情になる。ただの偶然の気もするが。
時勢の問題で式をやる人はあまり多くないし、式に呼ばれる程の仲の人は更に多くないので、結婚式に出席する予定は今のところ来年10月の1件のみだ。初めての結婚式なのでわりと楽しみである。


…本当はこれを受けてふと思い立ち「愛に類するものについて」をテーマに一つ記事を起こそうとしたのだが、どう距離を置いて書こうとしても自分の主観に終わってしまい、中途半端で見苦しかったのでもうやめた。「特に愛情深い人や惚れっぽい人って意外と選択的だし、博愛精神やプライドを棄てられる天性の才能がある」という趣旨だったのだが、そういうことをつらつら書いてたら途中からただの僻みみたいになってきた。


いつか読んだ小説の中に「自分に最も近しい者への愛でさえ『愛そうとするただの試み』になってしまった」という印象的な一節があり、結構共感するのだが、若輩者が下手にこういうことを言ったり書いたりする時には必ず陶酔が伴う。「人を愛せない俺」みたいな。自分も書いていてその種の陶酔が伴ってしまい気持ち悪かったので、陶酔を起こさない境地に辿り着いてから形にした方が良いなと考え直した。でもそんな日は来ないのかもしれない。


それにしても遂にこのフェーズが来てしまった。近場に友人がおらずゴシップニュースへの欲望を燻らせている自分としては、他人の結婚話の詳細を根掘り葉掘り聞いてみたい気はするがそうもいかない。いろんなことを聞きまくりたい気持ちを抑えて粛々と「いいね」を押すのみだ。話を聞くのは次に直接会った時へと先延ばしするほかないが、多分実際に会ったらほとんど何も聞かないだろうな。


よく女性は恋愛脳だと揶揄されるが私はそうは思わない。というのも男性だってベクトルは違えど大概恋愛脳だし、恋愛への興味関心度合いなんてものがもし測れるとしたら男女平均はトントンくらいになるんじゃないかと思ったりする。
ただ恋愛の話をするのが好きなのは見るからに女性だろうな。そしてそれは恋愛というのが女性達の共感性を鋭敏に刺激する普遍的な話題だからだと思う。恋愛が好きというより共感が好きなのではないかとすら感じる。
御多分に漏れず私も人の色恋沙汰の話を聞くのはかなり好きで、何が面白いって多種多様の人間が皆似たようなことに躓き不平不満を抱いているのが実感できるのが面白い。人の性が見える感じがするし、相容れない遠い場所の他人すらも理解可能な可愛い人間として倍率を上げて写してくれ、親しみを持つ機会にもなる。逆にドン引きすることもあるけど、それでもなんていうか、生きたコミカルさが付与される。


友人のマッチングアプリ体験談を聞くことほどの良質な娯楽もない。周囲でマッチングアプリをやっている人は多くはないが、やっている数少ない友人も男女ともに刹那性を楽しめない人ばかりなので、みんな非常に苦しそうに呻きながらやっている(そしてやめていく)。その呻き声を聞くのは正直言ってあまりに楽しい。美味すぎるからもっと欲しいくらいだ。笑える立場では全く無いしむしろ恐らく自分の方が孤立無援だが…。
同年代の喜びってそういうところにある。同級生同士というのはいつまで経っても互いに互いを興味なさげに、しかし目を離さずに眺めている。転職、結婚、実存の不安、その他ありとあらゆる問題の中、自分と同時期に似たようなことで悩みを抱えて悪戦苦闘している彼らを見ると、まるで手を取り合って歩いているかのような錯覚が引き起こされる。無論それは錯覚に過ぎない訳だが、その錯覚が何にも代えられず楽しい。


結婚報告というのは否が応でもその錯覚から目を覚ましてくる。それ錯覚ですよ、と一発食らわせてくる。わかってたのに幾分ショックだ。実際にはその人の生活はこれからも依然地続きで継続するし、結婚によってその人が別人になるなんてこともないのだが、なぜか重大なフィールドを自分と遮断させられたような気分になる。友達と向かい合ってご飯を食べている時は自分と相手がとても似ているように感じて、並んで歩く一体感を覚えるが、実際には自分にも相手にも当たり前にまるで交わらない個人個人の人生があり、今後共感不可能になる場面もきっと増えるだろう。目に見えるものなど全て一例の一例でしかない。寂しくない訳ではないけど他人というのはそういうものだな。




結婚と言えばシオランのこれが最悪すぎて大好きなのだが、いざ結婚報告の只中に置かれた上で読んでみるとやはり友人にこれを言うシオランは相当な猛者だ。普通言えない。