取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

ドルオタ、かくも不可思議な存在

昔からわからないんだよなドルオタって。いや、わからないものを無理やりわかろうとしなくていいだろうとずっと等閑にしてきて今があるのだが、そうやって洞察を蔑ろにしていたツケか、発見するのが随分遅れた。この前久々にテレビを見てみたら「言葉にするのが難しいけど、なんか無性に苦手だな」と感じる芸能人がおり、引っかかってその人のWikipediaを読んでみたらその人が熱心なアイドルオタクであるという記載があった。その時に成程な、と全て紐解けたのだ。そして気づいてしまった。私の今までの狭い交流範囲で出会った人々のうちでも、「話した後に毎回必ずモヤモヤする」「どうと言われると難しいが絶望的にタイプが違う」「とにかく喋りにくい」、そういった曖昧なしかし強烈な苦手意識を私が覚えた人達のほとんど全員、思い返せばアイドルオタクだったのだ。人種って本当はこういうことを言うんだと思うね。


つまり自分はドルオタと根本的に馬が合わない。追いかけ対象のアイドルの種類や、アイドル、ドルオタ双方の性別関係なく、一括して苦手だ。強いて言えば異性のアイドルに熱を上げている人達の方がより肉欲の臭気を帯びていて脂っこいのが嫌だが、同性のアイドルに入れ込む人達も人達で、彼らは肉欲が薄い分、その代わりに発生している複雑な享楽を理解することが難しく、共感不可能な恐ろしさがある*1。ただそういう性質の違いこそあれ、実在する赤の他人を応援したり追いかけたりすることが楽しいという感性が、そもそも理解に苦しむ。


あるアーティストが作る作品が好きだからそのアーティストの動向をチェックし応援する、というのなら理解できる。優れたものを作る人達が支持を集めるのは当然だ。だがアイドルというのは他人が作った曲やダンスを実際にパフォーマンスする演者/アーティストでもあるのに、そのパフォーマンスが突出して優れているという理由だけでそのアイドルが人気になることはまず無い。K-POPとかにはある程度そういう技能重視の側面も見受けられるが、やはり結局はビジュアルやキャラクターといったものが前提として確立された上でパフォーマンスが評価されているだろう。クリエイターではなく演者に傾倒するというのが私にとってはまず不思議だし、その演者のパフォーマンスではなくキャラクターに執心するというのが更に拍車をかけて不思議だ。全く自分と世界認識を異にしている。だからこそ色々な苦手要素が派生して、激しく苦手になっているのだろう。
転じて以下、アイドルオタクの方々の性格面の特徴について雑感もとい偏見をまとめた。


・人を属性の集合として認識している
アイドルというのはビジュアルはじめ属性祭り、属性の合戦場みたいなところがあり、自身の属性をわかりやすく押し出す。しかるにドルオタの人はそういうテンプレートから人を分析することを元々好むのではないかと思われ、実際に、相手の性別、年齢、出身、学歴、職業、地位…のような、人格の外在的な要素(属性)から統計的に人を類推する傾向が若干強い。もちろん属性から人の内面を窺い知れる部分があるのも事実であるので、そうした見方が一概に間違っている訳ではないが、属性基準に人をカテゴライズすることそれ自体に強い喜びを感じているように見えるところが非常に特徴的だ。自身の帰属意識も強い。人についてスペック判断を下す喜びなどというのは、私には何やら当人の厄介コンプレックスの裏返しのように疑われて仕方がないが、まあその見方もまた穿ちすぎかもしれない。



・性的に評価している相手の性的魅力以外の美点をやたら褒める
ドルオタがよく言う詭弁として、「見た目も好きだけどそれ以上にこの子は面白いし良い子」「異性というより親目線で見てる」があるが、そんな訳がない。だとしたらアイドルが肌を露出した煌びやかな衣装で踊るところをわざわざ目を食い入らせて鑑賞したり、握手会まで足を運びアイドルに手を握られて狂喜乱舞したりする理由がない。百歩譲ってそういう感覚が確かに発生しているとしても、それは根源的な欲望を直視しないために否認・歪曲・分裂等々の防衛機制が行われた結果の感情と見るのが妥当。別にそうした感情処理が悪い訳でもなく永遠に繰り返してくれて構わないのだが、傍からありありとそれが透けて見えるのにアイドルのビジュアル以外の美点を延々語られたりすると、生温かくガッカリしてしまうのは仕方ない。


・たまに信じられないくらい残酷なことを言う
お前が言うなという感じかもしれないが、ドルオタの人が放つ悪口には、私のような人間の悪口とはまた別の悪質さがある。私含め陰険な人間が言う悪口というのはそもそも共感性の下に嫌悪が生じて悪口となって放たれており、それゆえ常にどこか自分に返ってくる滑稽さがあるのだが、ドルオタ気質の人の悪口にはそういった湿度がない代わりに一切の共感も愛情も伴われておらず、取りつく島もないブリザードだ。あるドルオタの人が、その人の嫌いな人(ぼけっとしていて話が通らないタイプの人だった)に関して「植物人間みたい」と言っていたのを聞いて私はもう背筋凍ったね。「そんな酷いこと言う?」と思って。上述の点とも通じるところだと思うが、好き嫌いでものを考えるため行動原理に道徳心を据えるという感覚が希薄で、倫理や道徳を人間が共生するために後から作り上げた生活のルールだと信じ切っている節があるのではないか。


・つまらないギャグで笑わない
以前友人が「ダジャレで笑う人が好き」と述べていて、自分もそうだなとしみじみ思った。ダジャレのような古典的で何の含意も生産性もないギャグに価値を感じられる人が好きなのだ。この前職場の人が氷水を飲んでいたので、思い切って「水のロックですね」と話しかけたら大いに笑ってくれて、元々好きな人だが更に好きになって好感度が天元突破した。
それで言うとドルオタの人は絶対にこういうことで笑ってくれず、それどころか「は?」みたいな冷めた顔をしてくるので全然ダメだ。「つまらないギャグに冷めた顔で返すまでがギャグ」という信念の下にそれをしてくるのではなく、本当に単純に冷めているのが痛いほどわかる空気を出してくるので、こちらも居たたまれず傷を負ったまま治らない。そして彼らに軽いダジャレを投げかけることを今後躊躇い控えるようになるため、「意外にも笑ってくれた」と好きになる機会までをも永久に喪失するのである。芸人も一発ギャグよりコントを好む印象。*2


・自分や好きな人間にしか興味が無い
自分の視点や感受性を円の中心として揺るがない猪突猛進の世界観。人を嫌いやすい訳ではないが、ただ一度嫌いだとか苦手だとか思った人間には一気に興味を失い、その人を利することに繋がる行動をすることに強烈な拒否反応を見せる。理解できない他人を理解したくて思い悩むということがない。
自分には興味があるようなのでそれが不思議なのだが、それは自分の実存への興味というよりは自分の趣味や感性への興味であって、「既に出来上がっている自分を更に確認する作業」に終始していることが多いのではないかと、最近いろいろなドルオタの人を見て感じ始めた。事実しか見ない即物的な感性と言うと聞こえが悪いが、既成の人格を深耕するのが好きなのではないかと思う。(これも聞こえが悪くて恐縮だけども)実存の不安を模索したり直視したりすることを殊更に避ける。


上記は苦手意識を洗い出すために極端に書いたが、もちろん実際はもっと多面的で千差万別の振れ幅がある。ドルオタとまでは行かなくても、特定のアイドルがちょっと好きとか、アイドルではない芸能人をアイドルみたいに追いかけているとか、そういう人は決して珍しくなくそれなりの割合で存在する。好きなアイドル的人物について熱量を持って語るのが好き、という人も多い。
ただ、多いからこそずっと不思議だ。そういう意味で私は「推し」という言葉にも未だにピンときておらず、気色悪い概念だなと思っている。推しという言葉には単なる「好き」と違って一定の距離を置いたニュアンスがあり、「私は立場をわきまえて応援している」という自分のスタンスが表れているが、ちんけなもの背負ってるな、という感想しかない。あしながおじさんパトロンみたいになることの喜びというのは想像できるのだが、推し活? は他人でもって自己実現に繋がっているのがおぞましい。私はたまに彼らに上西議員のド名言「他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ」を突き付けたらどういう反応が返ってくるんだろうと想像する。あなたの人生の主人公はあなたなのに、何でそんな赤の他人にウェットに執着しちゃうんだと歯痒いのだ。でもそういうことを実際に相手に突き付けるのは、私が思ってる以上に悪辣なことなのかもしれない。もしくは何の意味もない。


ドルオタと類似の存在とされている二次元オタクは、上述のような特徴をあまり有していない…と思う。二次元オタクの方が良いという話ではなく、彼らはもっと非アクティブで陰険であり、ドルオタとは完全に別種の拗らせを持っている。自分は気質的に二次元オタクの方が共感できるので、どうしても擁護みたいになってしまうのだが……昨今だと男性向け女性向け問わず*32次元萌えオタクの性的客体化が更に問題視されているが、実在の人間相手にそれやってるドルオタもなかなかえぐいし薮蛇なところがある。
上で挙げた「性的に評価している相手の性的魅力以外の美点をやたら褒める」と関連するが、ドルオタというのは性や本能に忠実なのに、態度の上ではそれを隠したがる欺瞞性が顕著だ。それは先の通り欲望のグロテスクさから目を背けるためでもあるほかに、恐らく彼らが好むアイドルが実在する人間であるがゆえに生じる配慮や葛藤も相まった防衛反応と見て良いだろう。こうした戦略的な欺瞞は、実際の恋愛ともどこか通じるところがある。ドルオタはそういう欲望コーティングがなされているから平均的な有害性が薄いとしてあまり非難されていないのかもしれないが、そういう批判の基準は結局問題の表層を見ているだけじゃないかな、とか思ったり。


ドルオタも苦手というだけで嫌いではない。いろんな人がいるから人は面白い。自分と全く違うその点を面白いなと感じることも頻繁にあり、彼らは自分に無い行動力を多分に持っているし、自分とは違うタイプの気合も入っている。カラオケも盛り上げてくれるし。ただドルオタの人と一対一で話したりすると人間性の違いが露骨に晒されてしまい、会話の全てが嚙み合わないので非常に辛い。いつか糸口が見つけられたら良い。

*1:男性が男性アイドルを好むことが少ないのに比べて、女性アイドルを好む女性は常に一定数いてそれは面白いよなと思う。性的対象は異性であろうと、女性は同性にも興奮できる節がある。虹プロとか見ると特にそうだが、アイドルにはスポ魂物語みたいなストイックな側面があり、それに感情移入するのが楽しいのだろうな

*2:ドルオタとは関係ないかもしれないが、関東の人はやはりあまり笑ってくれないし、人を笑わせることに価値を見出さない人が多いと感じる。

*3:男性向けの方が風当りは強いが。