取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

「オンライン飲み」がなんか苦手

世の中で隆盛していても、自分は乗れない波がある。
世間との断絶を感じることなど誰しもいくつもあるものだが、最近の私にとってのそれが「オンライン飲み」だ。なぜ乗れないかと言うと、気に食わないからではない。いや、それもちょっとあるかもしれないけど、一番の理由ではない。一番の理由はもっと根本的で、「なんか生理的に無理」なのだ。


そもそも友達が少ないことと、その友達も自分と同じタイプが比較的多い(多分)ということもあって、ぶっちゃけオンライン飲みにはこれっぽっちも誘われていないのだが、もし誘われて参加したとしてもちゃんと楽しめないと思う。

というのも、ビデオ通話というもの自体は過去に何回か、複数名としたことがあり、その時に毎回苦手だな、自分には向いてないなと思ったので、その強化版であるオンライン飲みも必然的に無理だろう、という訳だ。実際全然やりたいと思わない。…いや強がりじゃないから…。友達と話すこと自体は好きなのに、ビデオ通話になった途端に喉元がつかえたような不自由な気分になるのだ。

なんとなく居心地が悪い。落ち着かない。恥ずかしくて普通に喋れない。気持ちが悪い。見られたくないし見たくない…。

なんで私はこんなにビデオ通話が苦手なのかなー、と不思議だった。いや、厳密に言うと理由はうっすらとわかるんだけど、どうせ誘われることもないしあまり深くは考えようとしていなかったから、「ビデオ通話苦手問題」は私の中で靄がかかったようなテーマになっていたのだ。


そんな折にTwitterを見ていたら、とある動画に出くわした。
メンタルドクターを名乗る若い男性が、「うつ病の人への禁句」を早口で挙げながらうつ病患者への理解を促す動画だった。(個人的には投稿者の「禁句」って物言いにこそまさにうつ病患者への腫物意識が現れてると思う。視聴者を釣るための極端な形容だろうけど)
元々この手の「呼びかけ動画」は見てて良い気がしないし、当然その動画も受け付けなかったのだが、今回に限っては見て良かったと感謝した。

なぜかと言うと、その動画を見た時に感じた強烈な嫌悪感はまさしく私がビデオ通話の時に感じる不快感と根底で同質のものだと気付いたからだ。ビデオ通話が引き起こすちょっとした不快感を最大まで鮮烈かつ薄気味悪く拡大したもの、それが私にとってあのメンタルドクターの説教動画だった。気持ち悪さの程度が強すぎるものというのはその気持ち悪さの要因も典型化・極限化されているため、非常に分析しやすい。巨大な不快感はたまに気づきを与えてくれる。だから不快なものも時々見たくなっちゃうんだよな。そう、全ては学びのために、不快なものも甘んじて摂取するってわけ。それは嘘。

…そしてそこから分析したところによると、恐らく自分はビデオ通話の以下の部分が苦手なのだと考えた。


 ① 端末画面中に素人の人間の顔が表示される
 ② その人間がこっちを見ている
 ③ その人間が自分の意見を喋っている


大きく分けて上記3つ。ちょっと説明する。


① 端末画面中に素人の人間の顔が表示される
現実では物質的厚みを持っている生きた人間の顔が、スマホやPCみたいな薄っぺらい端末画面の中にしまい込まれていることへの違和感・拒否感。カメラやTVが発明された最初期なんか、お茶の間はきっとこの違和感に包まれた筈だ。
とはいえ当然私達現代人はTVや映画で余程この現象に慣れてるし、自分もそれらを何ら不思議に思ったことはないのだが、それでも例えば、自分の眼球から20cmくらいしか離れていない端末画面いっぱいに素人の顔が表示されることには何とも言えない拒否感を覚える。

寝転がりながらFacebookで知り合いの顔アイコンを全画面表示してまじまじ見てる時なんか、ものすごく不潔なことをしている罪悪感で居心地悪くないですか。著名人ではない素人の生々しい生活感に溢れた顔が、薄い端末の中にしまい込まれている不整合。しかもビデオ通話となると大抵の場合その相手は自室という極めて私的な空間にいる。普段ではありえない距離感、ありえないサイズで、互いに侵入し合わなければならないのだ。そういう身体感覚的な点でも、どうしても埋められないギャップがある。


② その人間がこっちを見ている
元々人と目を合わせるのが苦手というのもあるけど、①とかけ合わさってこれはより落ち着かなくなる。画面の中の人間がなぜか実体の私を認識し、目で追いかけているように見える。①の時点で既に訳のわからない存在と化している人間が、なぜかこちらをリアルタイムで識別し捕捉してくることへの違和感。相手は1端末の画面の中にしかおらず、そこ以外は全て自分の城で対話しているにも拘わらず、その画面の占有振りからむしろ対面の場合よりも逃げ場がないように感じられる。


③ その人間が自分の意見を喋っている
意見がある人が意見を語る時って独特の熱が体にこもっていて、喋り方にもそれが現れる。それを好意的に聞けるような相手であればいいが、そうではない時、伝えようとしている人間特有の鬱陶しさが聞き手の脳に絡みつく。無碍にもできず面倒くさくて、自分勝手で杓子定規で…。

とにかく人が意見を伝えようとする時は人間の人間らしいところが遺憾なく表出される訳だが、それを①のような不自然な人間存在が画面の中で露わにしてくる、というギャップに頭が追い付かない。人間らしくない存在がめちゃくちゃ人間らしいことをしてくる、という矛盾(?)に理解が及ばなくなる。


以上、こう書くとかなり神経質な苦手意識だが、自分にはわりと腑に落ちる。だから私せ〇ろがいおじさんとかDa〇Goとかもすごい嫌なんだなって納得した。言ってることがちょっと…というのもあったけど、あの人達の動画のアプローチの仕方が本当に苦手で。インスタライブとかも見てて恥ずかしくなるから、5月にやってた宇多田ヒカルのインスタライブすら仮にもファンのくせに1秒も見れていない。それらはこういう原因だったんだなと解明されました。特に①が大元で、これによってあらゆることに違和感を感じてしまうんだろう。


ゆーて家族や友達とビデオ通話する分には「ちょっとやりにくいな」って肌で感じるくらいだけど、そのやりにくさを分析すると根本はメンタルドクターと一緒というか。

それにしても、皆はあんまりこの嫌悪感感じないのだろうか。メンタルドクターさんの動画も何だかんだでめちゃバズッてたしね。ああいう形式の動画苦手な人って結構いると思うんだけど、ビデオ通話くらいなら平気という人が大多数なのだろうか。

私はこうした理由からいまだにYouTuberにも慣れておらず、一向にあの生々しい画面を見続けることができずにいる。芸能人YouTuberとかはキャストも裏方もプロだし画面にも程よい距離感あって抵抗なく見れるけど。あと顔出しのないゲーム実況なんかもいくらでも見れるしむしろ大好き。ゲーム実況は第一義がゲームにあるから余計な意見とかも喋らないのが良い。ただ生粋のYouTuberがやっぱきついね。画面がしんどくて。知り合いでもない素人を全画面で見続けるのは厳しいよ。単純につまらないというのもでかいけど。


…とにかくこんなこと言ってると、ますます誰からもオンライン飲みに誘ってもらえないだろうな。