取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

夢の記憶は昼間の残滓

昼間の出来事がその日の夢に反映されるっていうのは経験的にわかる話だ。筒井康隆の『パプリカ』ではそれを「夢には昼間の残滓が現れる」なんて言ってた。

 

パプリカ (新潮文庫)

パプリカ (新潮文庫)

 

 

しかし昼間というのは単に当日の日中を指すのではなく、日常生活において明るみに出る表面のことかもしれない。生活のA面とでも言おうか。

 

 

夢にはある程度定型があり、よく見る夢というのが私にもある。そして夢というのは四次元で、人間一人の身体の中に堆積・膨張した宇宙から痒いところを啄んでくる。

子どもの頃は親が死ぬ夢、中高生時代は友人に詰られたり怒られたりする夢を頻繁に見たものだが、最近はそういう繊細な夢はめっきり減った。大学あたりから夢が強烈なイデオロギー性を帯び、安部公房の短編小説みたいに寓意的に倒錯し始めた。社会人成り立ての頃には夢の中でも毎日仕事し怒られていた。

 

夢を見やすいのはきっと、いつも寝方が寝落ちだからだ。だいたいスマホを見ながら寝落ちしている。だから電気もほぼ毎日つけっ放しになっている。良くないよね。

 

そうした理由もあってあんまり幸福で楽しい夢を見ることは少ないが、それでも夢って結構好きだ。朝起きた時の夢現な心地も他に代え難くて。あんなにエンターテイメント性に溢れているのに、数分で内容が綺麗さっぱり消えるところも刹那的で味がある。自分にとって恐ろしい夢を見た時は汗だくで目が覚めて、ああ私はこれが怖かったんだなと初めて気づく。

そういうものの一つとして4年くらい前に見た、ある印象的な夢を思い出した。

 

 

夢の中で私は高校生で、修学旅行のバス移動中だった。

ある女子が突然、バス運転手の些細な行動(覚えていない)を非常識だと大声で非難し始める。クラスの中心に座したがる、学級委員でもないのに学級委員気どりの女子だったと思う。彼女の一声により堰を切ったように便乗して他の女子たちも運転手に罵声を浴びせ始め、運転手はそれに対して目も合わせず(運転中だから当然だが)「はい、なるほど」と実のない返事を繰り返すが、次のサービスエリアに到着した途端に職務を放棄し、血相変えて口汚い悪態をついたと思えばバスを置き去りにして去っていく。

運転手不在のバスになり、なぜかその場には担任の教師もおらず、「マジかよ最悪、どうすんだよ」と途方に暮れて文句垂れるクラスメイト達。今度はあの学級委員もどきの女子が男子達から非難される側になり、今にも泣きそうな顔をする。

そこに一人の男子がサービスエリアで見つけた適当な大人を連れてきて、その人に運転を代わってもらうと言い出した。見繕われた運転手は20代前半くらいの外国人(中国人か韓国人)で日本語すら通じていない。私は仰天して「絶対危ない、バスって大型免許なんだよ、何考えてんだ、やめようよ」と心の中で叫ぶが、周囲は「よっしゃ、やっと進めるよ」と平然として、新しい運転手と共にてくてくバスに戻っていく。

死にに行くようなものだ。私は絶対に乗りたくない。しかし皆は「何で乗らないの?」と芯から不思議そうな呆けた顔を私に向ける。クラスメイトの乗ったバスの前で彼らのとぼけた眼に一斉に見下ろされたその時、急に自分の体が豆粒みたく小さくなったように思えて…「ああ私は人一倍生に対して執着が大きいのだ、私は自分だけは死にたくないのだ」と悟り、瞬間、惨めさで視界がぐにゃっと歪んだ。そして力なくバスに乗り込み…そこで目が覚めた。

 

 

夢は個人の地雷原だ。この夢も私の恐怖が詰まっている。私の避けたいもの、避けてきたもの、避けようとして避けられなかったものの全てが凝縮されて結実している。

汗だくになって覚醒する時、ベッドの上で時間がゆっくりゆっくりと微睡んで、夢であったことに徐々に気がつく。安堵するような、なんだ夢かと肩透かしのような奇妙な気分。

この夢を見た時は既に高校なんか卒業していたし、高校生活のことを思い出すことだってほとんどなくなっていた頃だと思う。別に高校時代にさしたるトラウマがある訳でもない。しかし似たような夢をこれ以外にも何度か見た。名前も忘れた高校時代の知人達が狂人として登場し、その中で自分だけが正気を保ってて、私はそのことが居たたまれなく恥ずかしく…葛藤の果てに嗚咽しながら同調するという定型パターン。

 

これが「昼間の残滓」ってやつ? 人生の昼間には載り切らない、かといって消化されもせず体内に積もった生活のB面。いや、昼にも夜にも載らない残滓。昼間の裏側は夜だけれども、昼間の残り滓は夢のつぶてになるって訳か(?)。

 

 

最近パンデミックものの悪夢を見た拍子にふとこの夢を思い出したので、唐突に書き出してみた次第。コロナのことで自分はそこまで滅入ってないと思ってたけど、やっぱ夢に影響出たなー、と思って。

 

幸せな夢だけ見るのもそりゃ良いが、私は怖い夢も好きだ。夢というのは架空の出来事であり、夢でどんなに恐怖だろうと、現実じゃないとわかった途端に夢の恐怖はどこか娯楽に変わる。私もこの夢汗だくになるほど怖かったけど、面白いと思ったからメモを残して今でもたまに思い出せる訳だし。

それに、恐怖という感覚に架空はない。夢の出来事がどんなに馬鹿にできうる虚構だろうと、この身に覚えた恐怖感に偽物なんかありはしない。娯楽つきの生の恐怖ってスリリングで楽しいからね。

だからこういう夢も別に嫌じゃない。ただ楽しい夢と怖い夢、6:4くらいで見れたら理想。定期的に空を飛ぶ夢とか見て楽しみたいが、まだ夢でも空は飛べていない。