取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

『HUNTER×HUNTER』蟻編の好きな文

久しぶりに蟻編を読み直したんだけど、やっぱめちゃくちゃ面白い。HUNTERはずっと面白いけど個人的には蟻編が一番だな。

 

 

HUNTER×HUNTERは文字の量(特に解説文)が年々増えていってて、この「漫画なのに文多すぎ問題」というのは人によって賛否分かれると思うんだけど、私はHUNTER×HUNTERの文って独特ですごい好きなんですよね。絶妙に少年誌らしからぬすれた言葉遣いがスッとする。そんな訳で今回は蟻編の中でも特に好きで、かつ文脈なしのブツ切りで載せても比較的伝わりやすいテキストをちょっと挙げてみた。最初に言っておくと該当シーンの画像はついてないし、完全な自己満足です。

 

決闘ってのは命の取り合い真剣勝負だ
闘るのはグッスリ休んでバッチリ起きて5時間後がベスト‼
なのに何だてめえら すでにヘトヘトじゃねーか⁉
スイミングの帰りか?あァ⁉

練の修行でくたくたになった状態で決闘場所に現れたゴンとキルアに対し、ナックルがぶちギレて言う台詞。「スイミングの帰り」って表現は笑えるし的を射てるし、ナックルの育ちも思わせる。(20巻No.203◆ジャイロ)

 

おいおいおい いきなりなんだこのすげぇオーラは⁉反則だろコラァァ‼
”凝”……いや”硬”でガードしなきゃ ヤベェ
でも どこをだ⁉はずしたらオレ 死ぬぞこれオイ
殴るとしたら腹だろ普通 つーかそこしかねーよな 腹だな⁉いいな腹だぞ 腹腹腹‼
信じるぞコラァァ‼
(中略)
信じてたぜ………オメーのことをよォ…

ゴンのジャジャン拳のオーラを見てビビるナックルの心の声。(20巻No.203◆ジャイロ)

 

青年の言葉を聞きながら ジャイロは信じられないものを見た
確かに自分と目が合いながら 全く関心を示さず通り過ぎて行く父親
ジャイロは 全てを理解した
宇宙は オレに興味が無い

ジャイロの回想シーン。貧しく惨めな暮らしの中でどんなに粗雑な扱いを受けても、父親だけは自分を必要としていると信じていたジャイロ。街の青年にそのことを馬鹿にされ頭を踏みつけられているその時、他ならぬ父親が知らぬ顔して前を通り過ぎる。その時のジャイロの絶望の回想。ジャイロの回想シーンは9ページしかないけど、そこに詰め込まれた叙述の文が非常に良い。(20巻No.204◆ジャイロは)

 

思ったこと 何でも言っていいって言ってたから教えてあげましょうか?きっと貴方達にはナックルを倒せない…もともと時間が足りな過ぎたのよ
最近 あたし気づくと包丁持ってそれをジッと見つめて 落ち着く自分がいるなって思ってて これってほぼ限界に近いってことだから手遅れになる前の今なら逃げても追っかけてまで殺そうとは思わないと思うの

なかなかナックルを倒せないゴンとキルアに対してのパームの愚痴。おいしい食事を用意し皆で食べてる時にぶつぶつ文句を唱えるが、この後ゴンに指切りげんまんをされて機嫌を直す。(20巻No.205◆残り時間)

 

プ…こいつペルって言うの? 

蟻のアジトに突入し、角のない巨大なカブトムシみたいな生物に捕まったシャルナーク。カブトムシを操作する上位のキメラアントがカブトムシをペルと呼んでるのを聞いた時の心の声。シュール。(22巻No.226◆10-④)

 

オレを責めて気が済むならそうしろよ!だが
代案も出さず正義面だけしたいってのは虫が良すぎないか⁉

蟻を捕獲し人類を救うためやむを得ず500万人の犠牲を承知しなければいけないという作戦に納得がいかず反駁するナックルに対し、シュートが業を煮やして言う台詞。これを聞いてナックルは言葉に詰まり渋々了承する。(22巻No.231◆9-②)

 

イカ によォ 生まれたかったんだ
特によ~~~ユウレイイカにリスペクトでよ………
タコもイカも似たようなもんだって思うカイ?
大違いだぜ‼タコは不細工だ イカイカしてる
人間だって目鼻の形や位置なんかミリ単位で一喜一憂してるだろ?
オレにはイカの形状(フォルム)が神なのさ
仲間は 売れねェ…‼

キルアに追い詰められ「10秒以内に仲間の能力を教えなければ殺す」と宣告されたタコのキメラアントのイカルゴが、短いカウントダウンの中で自分の憧れを語り、決意と共に死を選ぶ。この後「期待するぜ 次こそイカに生まれるように」と続くのだが、その姿を見てキルアはイカルゴを助け出し、二人はその後友達になる。

…書きながら思ったけど、そういやイカルゴって元々はNGLの人間で、人間の時の記憶も持ってんだよね。なのにキメラアントに転生してからは自身がタコであることにコンプレックス持ってイカに憧れてる。これってよく考えたらちょっと不思議なような面白いような唐突さがあるが、なんか伏線とかあったっけ。ないか。(23巻No.238◆8-④)

 

無理だ
これ以上 進めない…‼

ピトーの円が解除された好機を見て1人で蟻の王宮に潜入するも、上階へと続く階段から立ち込める禍々しいオーラを目にし、これ以上の潜入の不可能を悟るノヴ。ノヴはそのまま撤退するが、この時のトラウマで髪が真っ白になった後ハゲになるという、インテリ眼鏡イケメンにあるまじき悲劇を辿る。そんな姿になっても尚やれる仕事は完遂するところはかっこいい。(24巻No.251◆6-⑧)

 

降り注ぐ無数の龍よりも危険なのは
あの人間‼‼

ゼノのドラゴンダイブに紛れて飛び降りてきたネテロとその強さに気づき、うずうずしながらネテロの元へジャンプするピトーのモノローグ。見開きを大胆に使った、誰もが認める名場面。(25巻No.264◆突入④)

 

いや……無能のプフよ お前は認めたくないだけ‼
あの女といっしょにいてほしくない‼‼
絶対の王が万が一にも下賤な人間の身を案じ自ら下賤な人間の部屋に足を運ぶなど
あってはならないっ
護衛軍失格なのは王の居場所がわからないからではなく
わかっていながらそこにいかなかったから

王に大事にされる人間のコムギに嫉妬し、嫉妬ゆえに身動きを取れず王の窮地に駆け付けられなくなった自らの浅ましさを自覚して泣き踊るシャウアプフ。プフは本当に面白いが、プフみたいな人って確かにいるよね。(25巻No.270◆貸し)

 

くらえブタ野郎‼‼ まずはシュートの分‼‼ 次もシュートの分だ‼‼
しかしおかしいなオレ あいつのことそんな好きじゃねーのに いやむしろいけ好かねー奴とか思ってたのに いつの間にオレの中で親友(ダチ)までランク上がってなんでこんなムキになって敵うとーとしてんだろ?
敵っつーかアイツまだ死んでねーけど(多分)ま やっぱ一緒に死線くぐったのがデケエな 命懸けで何かを共に闘れる奴なんて無条件で親友(ダチ)だろ なのにこのクソッタレ そんなシュートの覚悟を足蹴にしやがって 本気で戦って殺されることすら覚悟している相手を無視(シカト)⁉
武士の情けもねェのか‼‼ 蟻野郎‼‼
うおおマジ益々ムカついて来たぜ‼オレの分も含めて三発入れる‼‼
ってオレすげェな 今人生で一番頭回転してんじゃね? まだ拳振り上げてる途中? おそらく300文字以上考えてっけど⁉……あれ?
これって…アレじゃね?時間がゆっくり…周りがすげェスローになるって…
死ぬ前の…

怪物と化したモントゥトゥユピーに渾身の一発をぶち込もうとした刹那、ナックルの頭に巡った心の声。死の予感の前に静止した時間の中、走馬灯感覚に陥る様の表現が見事。(26巻No.280◆直撃)

 

感謝するぜ
お前と出会えた これまでの全てに‼‼

人間を超えた絶対的な力を持つ蟻の王メルエムへ猛攻をしかけながら、手を合わせハートマークを作るネテロ。おじいさんが手でハートマークを作るシーンを1p以上使った超大ゴマで見せるなどよく考えれば正気の沙汰ではないが、文句なしにかっこいい名場面。(28巻No.291◆自問)

 

黙って死ぬ⁉ しゃべってから死ぬ⁉ それとも死ぬ⁉

体を半分蟻にされ脳を狂気に侵されたパームが、本来仲間であるキルアを蜂の巣にしながら笑い叫ぶ台詞。蟻編の中でかなり強化されたはずのキルアが恐れ戦き物理で一方的にはりこめられるシーンは、パームが強化系であることを改めて強く思い起こさせる。(28巻No.293◆変貌)

 

地獄があるなら また会おうぜ
貴様は…‼‼ そう……貴様は…
詰んでいたのだ 初めから

ネテロ死亡からの核爆弾(ミニチュアローズ)起爆の流れは蟻編屈指の見せ場であり、どこか一部を切り取ること自体はばかられるが、蟻という超越的な潜在能力を持った種族に対し個人としては対抗の術を持たない程ひ弱な人間達が、結果的には核爆弾という国家レベルの悪意を以て一瞬で蟻を殲滅する、という筋書きには、初めて読んだ時茫然とした。それを「詰み」という言葉で軍儀に絡ませるのもなんとも上手い。絶対の王が軍儀においては人間の、それもかなり貧弱な方の人間であるコムギに一向に敵わず最初から最後まで詰みだったことがよく効いている。(28巻No.297◆最後)

 

ユピーの咆哮は 不吉な全てを含んでおり
その姿を確認する前から既に プフの顔は涙で覆われていた

薔薇の黒煙を見て王を探しに駆け付けたユピーとプフ。ユピーが王の遺体を見つけた咆哮のモノローグ。まあこの後すぐに二人が自身の体を王に食べさせて再生するけど。(28巻No.298◆再生)

 

お前もオレを 信じてくれるだろ?
ピトー‼‼

コムギを人質にするというゴンの発案に焦燥するピトーに対し、カイトの治療を持ち出して威圧するゴン。このシーンだけ見ればゴンが悪役でピトーが主人公のようにも見える。屈託のない素直でいい子なゴンなのに、悪役の台詞を吐いても何の違和感もなく読者に受け入れさせる。牙のある主人公である。(28巻No.300◆保険)

 

殺されるのが
ボクで良かった…‼

もう念能力を使えなくなってもいい、それほどの覚悟によって強制的に肉体を成長させ強大なオーラをまとったゴン(ゴンさん)にジャジャン拳一発で息の根を止められたピトーが、死の間際ぼろきれのように横たわりながら走らせた感覚。
ゴンさん化については散々ネタにされているし、それだけのポテンシャルを持った一大面白シーンでもあるが、コミックスで追いながら読んでいると笑いなど忘れてその壮絶さに圧倒される。初登場時は無邪気な巨悪そのものだったピトーがコムギを介して母親のような心性を持つにまで成長した上で、最後には見るも無残にゴンに木っ端微塵にされるという、ピトーの物語も偲ばれる。(29巻No.306◆安堵)

 

ほんの少し…だったと思う
どこかでほんの少し……何かがほんの少し違っただけで

余命を悟った王が最後の時間をコムギと過ごしたい一心で彼女の明け渡しをパームに請うが、これまでの蟻の所業と自分の立場を思い当然パームは断固拒否する。その頑なな様子を見て、俯き独り言のように王が零す台詞。コムギとの接触を通じて人間と蟻の間で揺れた王が、自身を振り返って素朴な言葉を吐いているのが逆に真実味を帯びている。(30巻No.314◆説得)

 

万全を期した上で完璧な報告をするのは確かにプロさ
でもそれは空調完備の部屋で椅子に座ってる奴のプロ意識だ オレ達現場は信じた仲間が任せろと言ったら任せるのさ
どっちもプロだ‼  ただ俺は現場だ ‼事務じゃねェ‼

王の看取りをパームただ一人に任せたことをビーンズに責められたモラウの台詞。モラウさんは蟻編通して大活躍した頼れる兄貴肌の男で私もかなり好きなキャラ。豪胆だけどもきっちり苦労している感がまた良い。(30巻No.316◆本名)

 

いやぁ~~~~いいトリオですねェ……好きだなぁ
(わかりやすくて…)

傀儡でもないのに自らの意思で思い通りに動いてくれるテラデイン達3人組を評してパリストンが言う。(31巻No.329◆密偵

 

ボクはジンさんを敵として 信頼してます
そのジンさんが 息子を託すに「十分だ」と言った仲間ですよ?
信じますよ‼ 決まってるじゃないですか‼

選挙戦に勝利したパリストンが、どういう戦略で動いていたのかチードルに問われた時の答え。台詞だけ見たら好青年だが、パリストンが言っているので全てが嘘くさい、というか嘘そのものなのだが、パリストンの行動を見る限り確かにその発言通りに戦略を立てているように見えるので、この言葉でチードルも完敗を認めた。(32巻No.334◆完敗)

 

オレは死んだ 死んで分解され 小さく分かれた だが そこで終わらなかった
オレが「このくらい小さくなったら終わりだろ」と勝手に思ってた物質には
オレの想像がおよばなかった力があった
(中略)オレは…きっとまたくり返す
このままでいいはずがないと思いながら 選択を間違ったからな
オレが本当に撃つべきだったのは 少女(あの子)じゃなく追ってきた連中だった…‼

コアラのキメラアントに転生した男が、自分が殺した少女の抜け殻(中身はカイト)に懺悔する台詞の一部。このコアラこれからカイトについていくらしいから、再登場が楽しみ。何といっても見た目がかわいい。(32巻No.337◆懺悔)

 

オレはいつも現在(いま)オレが必要としてるものを追ってる
実はその先にある「本当にほしいもの」なんてどうでもいいくらいにな

ほしいものをゴンに尋ねられた時のジンの答え。この後「王墓の発掘を目指してチームを組みやっと達成した時、一番の喜びは王墓の真実ではなく仲間との握手だった」というエピソードを通して「大切なものはほしいものより先に来た」と語る。すごい良い話。ジンは幽遊白書の幽助と顔同じで性格も似てるのに、めちゃくちゃ頭が良くて知的だから不思議な感じ。(32巻No.338◆樹上)

 

そうかい それなら喜んでお断りさせてもらおうか
その上でこっちからお願いするぜ‼
願ってもない機会だ 挑戦させてくれ‼

十二支ん加入と暗黒大陸渡航の誘いをかけられたレオリオの返答。単純に台詞回しが上手い。誘いを受けるにしても意表をつく返しだし、何よりレオリオの誠実で粗削りな人格が滲み出ている。(33巻No.343◆勧誘)

 

人は普通愛されたり愛したりすると 幸せを感じるらしいですね
僕は人に憎まれると幸せを感じ 愛しいものは無性に傷つけたくなるんです
でも それってそんなにおかしい事ですかね?

不気味に笑いながら語るパリストン。これに対してジンがすぐ「程度によるだろ、だがお前は完全アウトって話してんだよ」ってズバリその通りな指摘をさらっとしていることも込みで面白い。(33巻No.343◆勧誘)

 

「オレ様」使いと「一人称が名前」の女って根が同じだよね?
そう思わない?

王位継承戦の有力候補である第4王子ツェリードニヒの呟き。人体収集を趣味とするツェリードニヒはHUNTER史上でも類を見ないほどの傲慢さ・悪辣さを持つキャラクターで、魔界ハンター時代の仙水忍が出会っていたら間違いなく仙水のトラウマになっていたはず。でもコイツやっぱり面白いですよね。この台詞もそうだけど、たまに作者である冨樫の意見が台詞に組み込まれているような気がする。(33巻No.348◆覚悟)

 

愚かな私は 貧しい家の出身で…
国王に見初められた時には強く正妻に拘りました
当時…夢想し求めたものは 富と名声にまみれた浅ましく贅沢な生活でした
でも ワブルが生まれ 今回の運命を知り 心底…後悔しようやく 何が大切か気付いたのです…
娘を 抱いていただけますか?

王位継承戦においてクラピカが護衛を務めることになった第16王子ワブルの母オイト。物心もつかない幼い娘が血みどろの王位継承戦に巻き込まれていくことになる運命を前にして、クラピカに自身の身の上を語る。(33巻No.350◆王子)

 

 

この記事書きながらまた読み返しているうち、勢いで蟻編通り越して暗黒大陸編の頭まで行ってしまった。HUNTER×HUNTERやっぱり面白い。続きはどこで読めるんですか?

教育に良いお友達

「〇〇(私)と遊ぶって言ったらお母さん喜ぶから」
 友達にそう言われる子どもだった。成績優秀で品行方正(笑)、学級委員はやらないがクラスの班長程度は引き受ける保守的加減。保護者ウケが悪い筈がない。

 自分が優等生であり優等生気質であることは、小学校低学年くらいのかなり早くから知っていた。勉強をはじめ何をやらせても他の子達より数段上手くこなせたし、周りの子達がこんなに何もできないことに何か不整合があるような気さえした。あまりにも私に都合が良すぎて、この世には私しか本当の意味で存在していないんじゃないかな、なんて不気味な想像に夢中になったこともある。

 これには相対的要因もある。というのも私の周りの子達はあまり賢くなかった。中学まで田舎の公立だったため、勉学の出来不出来によるシビアな選抜なんてないも同然で、むしろ勉強が出来ると根暗ガリ勉として同級生から距離を置かれた。私はそれが不満でしかも臆病者だったので、自分は勉強はできるけどガリ勉ではないということを周囲に示唆するムーブメントを定期的に取りたがった。人並み以上にゲームや漫画を嗜んでいたり、お笑い番組もよく見ていたり、オシャレに興味があったりすることをわかってほしくて躍起になった。馬鹿にすんなと言いたかったのだ。

 友達のことは好きだった。友達選びは慎重にすべしというのは人が物心ついてすぐにも学ぶ鉄則だ。私も子どもなりによく考えて友達選び・友達付き合いをしたので、何回かの粗末な喧嘩イベントを挟みつつも友達とは概ね良好にやっていた。特に仲の良い2、3人とはよくお互いの家で遊んだり、ショッピングモールに買い物に行ったり、公園でキャッチボールしたりした。友達のことを私が好きで、友達も私のことを好きだからという単純な親交だと思っていた。

 けれども実際のところ、きっとそれだけではなかっただろう。
「うちのお母さん、〇〇(私)と遊ぶって言うと大喜びするんだよね」とか、こういう言葉を聞いたのは一度や二度ではない。私は根っからシャイで口も上手くないが、それでも友達の家に遊びに行くと決まってどの母親達からも熱烈に歓迎された。めちゃくちゃ茶菓子を出されるし、やたらと家まで送りたがる。保護者のネットワークから伝え聞くのか知らないが、私は「教育に良いお友達」だった。あわよくば娘もこの子に感化されて真面目に勉強してくれたらいいし、とにかくこの子と仲良くさせとけば安心だという安牌の子ども。つまり私の友達は私と遊ぶことを親から後押しされていた筈だ。とはいえ「私と遊べば親が喜ぶ」という私の道具的価値は、友達が私と一緒にいる理由のほんの一要素でしかないであろうし、友達からそう言われた時も別に嬉しくも悲しくもなかったが、成程そういう親の視点もあったのか、と目が開かれた覚えがある。

 現物の私も確かに教育に良かった。口が曲がっても素直とは評しがたい性格だったが、勉強教えてと言われたら応えたし、図らずも保護者ウケが悪いものは大概嫌いだったので人を堕落に誘うことはなかった。当時流行っていたケータイ小説のことは「チンパンジーが読むもの」と軽蔑していたし、ネット黎明期と発情期が重なって色気づいた同級生達が他校や高校、果ては謎のおじさんとネットで知り合っていろいろなことを済ませ始めていることを知るたび毎回吐き気を催していた。

 教育に悪い友達。その子と遊ぶのを親が止めるような友達。ネットで出会った謎のおじさんだかお兄さんだかと刹那的な関係に至っちゃう奴は教育に悪い。そこまであからさまじゃなくても、学校を休みがちとか、いじめっ子・いじめられっ子のグループに属してるとか、制服をだらしなく着てるとか、極端に頭が悪いとか、家庭環境が荒んでるとか、頭はいいけど校舎裏で猫殺してますとか(これは激ヤバ)。総じて教育に悪い。自分の子どもがそういう子と仲良くし始めたら、親として心配になるのは無理もない。

 口ではどうとでも言えるが、結局人間というのは本能的に差別的であり、自分の種に関する態度において特にそれが顕著になると思う。全くもって、動物らしく。思想というのは「自分がどう生きるか」よりも、「自分の子どもにどう生きてほしいか」に色濃く反映される気がする。他人がする分には勝手にすればいいと思っても、もし自分の子どもが初音ミクと結婚するなどと言い出したら、私は耐えられない。私には子どもなどいないが、想像するだけで苦しくなる。それはやはり私が「初音ミクと結婚する」という生き方を心底気味悪いと差別しているからだ。

 物心ついてから学生時代が終わるまで、私は教育に悪いお友達であったことがない。私はいつも教育に良かった。テストの点はいつも学年1だがそれをひけらかすことはなく、運動も美術もそつなくこなし、学級のいじめや諍いには参加せず、浮ついた噂もない。
 教育に悪い子など小中学校には掃いて捨てる程にいた。クラスメイトをトイレに閉じ込める奴とか、帰り道おもむろに腕まくりしてリストカットの跡を見せてくる奴とか、授業中に突然「自殺する!」と言い出して窓に走る奴とか、裏掲示板に誰と誰が付き合ってるか書き込む奴とか、性行為の図をノートに描いて目の前に広げてくる奴とか、『恋空』を読んで号泣してる奴とか。私には彼らが自分とあまりに違いすぎる生き物に見えて不思議だった。彼らから受けた仕打ちに酷く悩まされたこともある。人間がなぜこんな生き物に成長するのかわからない。だって私はずっと良い子だからだ。それも特段振りをしていた訳でも抑圧されていた訳でもなく、ごく自然な流れで優等生になったのだ。だって勉強ができない人達が好むもののほとんど全て、私には良いと思えないのだ。どうしても。

 しかし高校受験以降、そういう奴らはぱったりと目の前から姿を消して、私の周りの人達はどんどん私に似た優等生が増えていった。中学の人達の話など、たまに会う当時の友達からのタレコミであの子が妊娠で退学したとか、少年院に入れられたとか、自殺したとか、そういう最大レベルのショッキングな事件しか耳に入ってこないようになったし、話を聞く頻度だって年々減って、もう誰が誰だか覚えてやしないし、覚えてなくても支障も何もひとつもない。
いまや私の周囲はどんどん高学歴化し、人格的にもソフィスティケイトされている。交流のある人間は全員漏れなく大卒であり、だいたいみんな行儀よく、だいたいみんな斜に構えてる。私はそういう人が好きだし、そういう人に長年囲まれて生きているので、もうそういう人としか上手く親交を築けないような気もする。

 だが今でもたまに思うのだ。小中学時代の教育に悪いあいつらは、私にとって何だったのだろうと。5年前の地元の成人式で久々に彼らと一同に会した時、彼らは相変わらず教育に悪かった。悪いというのは言い方が悪いが、言い換えれば下等教育のにおいの中にいたのだ。不良が更生していたとかそういうことは勿論ある。キャラクターの陰陽に拘わらず年月の経過によって幼児性は治るし、丸くなったりもしている筈だ。しかし彼らを一瞥しただけで、私と彼らが未だ一向に交わらない舞台に立っており、そこを隔てる壁はむしろますます分厚くなっていることが一瞬で分かった。式後に有志の二次会があったらしいが、私が出られる筈はない。何にも話すことはないのだ。

 今でもごくまれに中学時代の人間からFacebookの友達申請が来て、私は承認せず放置するのだが、彼らのプロフィールは見てしまう。アイコンをタップしてスマホ画面一杯に表示された彼らの顔をぼーっと眺めて、やっぱり無理だ、と眉をひそめる。

 私にとって彼らはいったい何だろう。高校に入ってからは「生まれてこの方豊かな家庭で英才教育受けてきました」みたいなお坊ちゃんやお嬢様にも初めて出会い、こういう人と話すとその温室育ち加減に私は妙に薄ら寒い思いがしたものだ。彼らは皆教師に異常に好意的で、教師が授業中たいして面白くもない冗談を言ったりしても、心から楽しそうにどっと笑った。中学時代に生徒からの嫌がらせでどんどん衰弱しハゲていった教師を知っていた私としてはこれは驚くべきことで、何だか馬鹿々々しくてたまらず、こういう人達をあの教育に悪い奴らの中にぶち込んで思い知らせてやりたいな、なんてことを時々考えた。私は田舎の無法地帯に身を置いた経験のある優等生だが、彼らは最初からずっと健全な優等生に囲まれて育った優等生であり、その違いが私には決定的に感じられたのだ。この人達が知らないヤバイ人間達が世の中にはうじゃうじゃいるんだぞと教えてやりたかった。自分自身は結局優等生のくせに。笑い話だ。彼らこそ私に対して同じことを思っていたはずだ。

 趣味としてアングラな物語に触れるのはずっと好きだ。小説でも漫画でもゲームでも。ネット見ててもインテリ論客みたいなのよりはもっと社会の奥隅にいる人達の生活の声の方がずっと面白く思う。そこにはあの「教育に悪いお友達」の影響があるのかもしれない。
 しかし私自身は大人になっても未だもって極めて優等生的な人生を歩み、極めて優等生的な人付き合いをしている。多分子どもができても子どもには優等生であってほしいと望むと思う。Facebookの申請は無視するし、帰省しても同級生が働いていそうな区域には近づかない。

 では私にとって「教育に悪いお友達」は、多様性を学ぶためのサンプルでしかなかったろうか。考え出すと否定したくなる。私は彼らのこともちゃんと人間として見ていたし、彼らだって当然人間として尊重すべきだし、どこか憧れていたところもあるし、理解できなくても受け入れようと、あるいは受け入れられなくても理解しようと努力すべきだし…。しかし思えば思う程、却って全てが裏打ちになるような気がするのだ。結局娯楽としてしか喉元を通っていってくれない。

 小中学時代の奇人のうち何人かは病名を持っていたことを、私は卒業後に知った。卒業前に知っていたら彼らに対する私の認識は何か変わったろうか。変わった方が良かったろうか。現在の私の周囲には健常者しか存在しない。まるで「滅菌」されたかのよう。彼らはどこにいるのだろうか。今の私には見えないが、どこかにいるのははっきりわかる。見えないことは問題だろうか。見に行くために動かなければならないだろうか。自分の生活を差し置いて、どうしてそこまでしなければならない。あっちだって私の側に来ないのに。
 私と彼らは勉強ができるできないでここまで隔てられたのか、それともDNAや生育環境はたまた内面性の違いで次第に道を分かったのか、恐らくそれら全てなのだ。鶏が先か卵が先かという話じゃないが。

 多様性を尊重しようというスローガンの下に、よく価値観のアップデートなどという寝言を唱える連中がいる。そもそも価値観などという出来合いの言葉が私は嫌いだが、もしそんなものがあるとして、それを自分や時代の変化に合わせてアップデートすることが是とされるのはふざけてる。世界認識というものはアップデートするものではなく広げるもの、深めるものだ。いつだって揺らぐ人間の揺らぎを認める時に、どうしてそんな無機質なことが言えるのか。そんなにアップデートがしたければ、一生Windowsアップデートでもしていればいい。そうすればアップデートというのがどんなものか身をもって理解するだろう。

 縁などとっくに断絶された顔のない中学時代の人間が、今も私の夢枕に立つ。自分が優等生であり温室育ちであることが突然恥ずかしくなることがある。多様性のグラデーションの中で私と離れて立っている彼らのことを私は普段忘れているが、忘れていても立っているのだ。姿を手を変え品を変え。

弓削達『地中海世界』

 

 古代ギリシア古代ローマを「地中海世界」としてひと繋ぎに追う本。ゆえにかなり駆け足だし、著者のメイン研究域であろう帝政ローマに入るまでだいぶ文章が淡泊なので、元々ある程度の興味と知識がないとキツいかもしれない。ていうか私もきキツかった。ただ本書の語りの要となる「公・私有地のコントロール」という視座には一貫してかなり力点を置いて述べられているので、細部はともかく大局的な理解は捗った。

 

キリスト教初期の迫害は、教徒がキリスト教を信じたことでなく彼らが伝統的なローマ宗教の供儀行為を行わなかったことが本質的な問題であり、厳密に言えば彼らは棄教を命じられたのではなく供儀を命ぜられたのだ、…ていうのは目から鱗

 

そして帝政ローマの歴史家タキトゥスが自身の岳父でありローマ帝国内の一総督であるアグリコラのことを書いた箇所の記述が印象的。

 

 アグリコラは(中略)ついに兵をひきいてカレドニアスコットランド)に侵入する。この攻撃を前に、カレドニアの諸部族はカルガクスという指導者を中心に大同団結し、三万以上の者が戦場に集まった。決戦を前にしてカルガクスが全軍を叱咤した演説として、タキトゥスは長い文章を添えている。

 まずカルガクスは、カレドニア人こそローマの専制政治によって汚されていない「自由と独立の最後の生き残り」だと指摘し、しかしこの秘境も今や危険になったとしてローマ人の侵略を次のように描く。「この地球の掠奪者ども(ローマ人)は、あらん限り荒らしまわって、土地がなくなると海を探し始めた。……もう東方の世界も、西方の世界も、ローマ人を満足させることが出来ないのだ。全人類の中で、やつらだけが、世界の財貨を求めると同じ熱情でもって、世界の窮乏を欲している。かれらは破壊と殺毅と掠奪を、偽って支配と呼び、荒涼たる世界を作り上げたとき、それをごま化して平和と名づける」。われわれカレドニア人の「愛する者らが、ローマの課す徴兵制度で奪われ、……妻や姉妹は、かれらの情欲によって……汚されている」。

弓削達地中海世界』p.150

 

この自由と独立のための叫びが放つ雷のような正当性に対して、ローマ側の演説は実に貧弱で自己弁護的だと言う。ローマの最盛期はパックス=ロマーナとか五賢帝時代とかいうさも泰平の世であったかのような言葉で飾り立てられるが、平和とは支配であり、支配とは破壊であり略奪であり、過酷な現実の隠蔽であると。

 

やっぱりローマは面白いな。どっちかと言うと自分の興味はギリシア寄りだったけど、息が長い巨大な政府というのもいいね。プリニウス(漫画)でも読み直そうかな。