取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

筒井康隆『モナドの領域』『ジャックポット』

あの筒井康隆も今年で御年87歳になるそうで、恐らくもう死まで年読み、月読み、秒読み段階だろう。そんなわけで直近に出された本は存命のうちに読んでおこうと思い立ち、GWに続けて2冊読んだ。

モナドの領域』

モナドの領域

モナドの領域

本人の宣伝文句曰く「生涯最後の長編にして最高傑作」ということで、最高傑作かどうかは甚だ怪しいどころか間違いなく壮言大語だが、一方これが最後の長編というのを真に受けて考えるとしみじみ悲しくなってくる。もう長編は書かないのか。
序盤は伝統的な刑事物ミステリーそのものだが中盤あたりから話の様相がガラッと変わって、大層なメタフィクション形而上学的というか思弁的な話に発展する。ここからが本番なんだと思うし述べられている内容自体も筒井康隆節全開で面白いのだが、いささか単調で疲れるし、発想が全てだな。それでも最後まで読ませてくるからやっぱり驚異的な筆力だが。小説世界における作家の神性(小説に準じて言うとGOD性)を軽快な物語に仕立てた実験的な作品。予定調和という言葉を壮大に物語化している。
筒井康隆の書く登場人物ってあんまり生気を感じないことが多いが、この作品で言うと上代警部だけは不思議と鮮やかな血の通いが感じられた。なんでだろ。イケメンだからかな。違うか。

ジャックポット

ジャックポット

ジャックポット

荒唐無稽、やりたい放題の自伝的小説集。収録作の半分以上がほぼ意味不明な言葉遊びの奔流で、夥しい固有名詞と用語にいちいち引っかかっていると一篇読むだけで日が暮れる。もし後代の人が親切にも単語それぞれにいちいち注釈を入れようとしたら注釈の方が紙幅を割く羽目になるだろう。こういうのって赴くままにすらすら書いてる自動筆記のように見えるが、いつか読んだ『偽文士日碌*1で本作収録中の一篇について「たった30枚の短編なのに2か月かかる。全然筆が進まない」みたいなこと書いてあったから、一応熟考や推敲の上で成り立ってるみたいだ。そう思うと逆に凄いよね。当たり前だがやろうと思って出来るものでは無い。
ある程度の筒井康隆フリークじゃないと正直ほとんどの短編がきついが、ラジオ形式の『ダークナイト・ミッドナイト』と最後の『川のほとり』は良かった。『ダークナイト・ミッドナイト』は死についての論考もとい雑談。ハイデガーの被投性*2についての件で、被投ってのは自分についての意識のことだけじゃなくて、他人についてもそうだ。パーティーなんかで人がたくさん集まってる時、「あーっ、この人たちも死ぬんだな」って思って落ち込むこと、これも被投だ。…みたいなことを書いていて、自分もその感覚すごくわかるから嬉しかった。大学の頃の夜の街路、コンパの帰りかなんかでがやがやと盛り上がっている大学生集団を傍目に「あの人達も100年後には全員墓なんだな」と想像し、笑えるやら切ないやら不安になるやら非常にナイーブな心境になったことが何度もあるが、あれも被投の一種って訳か。
あと『縁側の人』の雨ニモ負ケズ認知症version~は笑えたな。最後の短編『川のほとり』は亡くなった息子さんと夢で再会する話で、散々好き勝手暴れたじいさんの心の繊細な部分を最後に垣間見てしまったような殊勝な気分にさせられた。夢の中でも男の冷静さと洒脱さを保とうとする筒井康隆自身が見えてほろっと来る。


筒井康隆ともなると縦横無尽に好き放題やれて羨ましいなあと思うばかりの小説群で、これぞマジもんの暴走老人。一方で2冊全作品に筒井康隆本人が登場していて、創作活動でも終活に取り組んでるのだなという印象を強く受ける。余人をもって代えがたい人なので居なくなってしまったら悲しいが、読んでいるとやはり結構差別的だし、ネットだったら即炎上するような言説も散見されるから(深刻に受け止められないように滑稽話として常に調整されてはいるが)、時代感としては頃合いなのかも。とんでもないインテリジェンスかつ大家であるのに真っすぐ尊敬しきれない捻くれギャグ人間の深みがあって私は好きだし、こういう人がいることで我々は妙に安心できたりもするのだが。


それにしても、氏の『旅のラゴス』は私の生涯好きな小説トップ10に入るくらいには大好きなので、ああいうSFアドベンチャーを短編でもいいからもっかい書いてくれないかなあ。

旅のラゴス(新潮文庫)

旅のラゴス(新潮文庫)

*1:筒井康隆のブログ。

*2:否応なしにこの世界に投げ込まれて、生きなければならなくなっているという人間の認識、感覚のこと。