取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

大藪春彦『ヘッド・ハンター』

ヘッド・ハンター (光文社文庫)

ヘッド・ハンター (光文社文庫)

あらすじ(Amazonより)
晩秋のアラスカ荒野に、独り獲物を追う男がいた。杉田淳、三十四歳。元傭兵の彼の標的は、人間ではなく野生動物たちだ。大ヘラ鹿、グリズリー、バイソン…鍛え上げた肉体を駆使し、凄まじいまでの執念で次々とトロフィー級の大物を倒し食らう杉田。行く手を阻む密猟者グループを殲滅し、彼のハンティングは続く―。

大藪春彦の影の代表作との呼び声高いようなので購入。心理描写が全く無い乾いた文体にも拘わらず、濃密に埋め尽くされた男性性に眩暈がする。ここまで雄々しい小説は随分久しぶりに読んだ。雰囲気としてはヘミングウェイの『老人と海』を想起したけど、もっと徹底的に趣味に走って好き勝手書いている感じ。銃や野生動物の描写があまりにも精密かつ専門的で暫くのあいだ面食らい、読むのにかなり手こずったが、3分の1くらい読んだところでそもそも読者に全文読ませることを想定していない小説だというのを十分理解したので、以降はちょくちょく流しながら読んだ。先の『マイケル・K』の読書記録で人間の限界を超えた細部描写だと感想を書いたが、個物の描写の緻密さに関しては『ヘッド・ハンター』の方が偏執狂レベルで凄まじい。

杉田はその王を射つことにした。(p.138)


奇をてらった文体や繊細な表現にはあまり興味が無いので、大藪春彦のザ・ハードボイルドな乾いた叙述は自分としては非常に好み(とはいえもうちょっと心理描写をしてくれるとありがたいが)。たまに間に挟まれるシュールな比喩や冗談のバランスもかなり好きで、この小説においては自然のスケール観や杉田のずば抜けた屈強さに時々笑いそうになる。例えば「並の狩猟者が単独で運べる荷物は30~40キロだが杉田は100キロを抱えて移動できる」とか「技師20名を散弾銃で挽肉に変えた」みたいな記述がまるで当然のようにさらっと挿入されているので、凄すぎて不意に笑ってしまう。比喩で言うと「総合商社の本社ビルのような大きさの巨石」とかも面白かった。ハーレムの群れの中心にいる巨大なワピチ(シカ)を「王」と表現したかと思えば、その次に出くわした超巨大なエルク(ヘラジカ)を「帝王」と呼んでいたのも芸達者というか、そう来たかという感じでユーモラス。レコード級の獲物を捕まえるたび、死体と化した獲物と並んでにっこり笑った記録写真を機械的に撮っているのだが、それも荒唐無稽な味がある。


トロフィーレコードのための狩猟というのは日本人の自分には馴染みがない文化なので(孕んでる問題はさておき)興味深いけど、それにしても杉田のトロフィーへの執着は常軌を軽々凌駕している。獰猛な野生動物への恐怖心などとうに超克している杉田にとって、巨大な獣は血沸き肉踊らせるトロフィーでしかない。勝ち獲った獲物を横取りされた際の憎悪も甚だ凶悪で、人間の手に負えない程だ。単独猟の淡々とした描写がひたすら続くだけなのに、男性性の全てを見せつけられたような気分に陥る。あとがきで大藪春彦が「戦闘的ストイシズム哲学」と集約しているが、流石まさにその通り。


老人と海』しかり『山月記』しかり、やっぱり自分は「猛獣と男」というモチーフが妙にツボにはまるようだ。恐らくどちらも狩る側であるというのが良いのだと思う。単純に「男と男」や「猛獣と猛獣」の一対一ではなく、種族も文脈もまるで違うあり方で、しかし同じように生態系の狩猟側に位置する存在である「猛獣」と「男」が対峙しているその様に、何か化学反応を見出してしまう。友好ではなく敵対、それも単なる対立ではなく一心同体のような必然的敵対であると尚のこと良い。自分は女なのでこのニュアンスを上手く昇華できる自信がまだ無いのだが、もう少し追究できたらいつか自分でも形にしたい。


作家かつ探検家である角幡唯介の解説も素晴らしく的確だったので、この人の小説も読まなきゃなー。

↓備忘

極夜行

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