取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

YouTubeあれこれ雑談


宇多田ヒカル『HIKARU UTADA Live TOP FAN PICKS』


8/31に宇多田ヒカル公式YouTubeチャンネルで「ファンが選ぶライブ映像ベスト」的な特集番組が組まれてて、9月いっぱいまでアーカイブも残すらしい。


1時間超の長い動画なので全部は覗けてないものの、久しぶりに見た映像も多くて良かったね。ライブ映像ってそんな見返したりしないんだけど、個人的に好きなのは『Too Proud』(4:58~)と『Kremlin Dusk』(26:29~)かな。あとこの番組には出てきてないがWILD LIFE(2010)の『虹色バス』とか。虹色バスはライブだと終盤の"everybody feels the same"って歌詞のリフレインをCDの10倍くらい多く歌っていて、マジでめちゃくちゃ"everybody"を連呼しているのだ。初めて見た時は「宇多田、絶対この日世界で一番"everybody"って言った人じゃん」と思って笑えた。


にしても改めて聴くと『This is Love』の「痛めつけなくてもこの身はいつか滅びるものだから 甘えてなんぼ」って良い歌詞だな。もしかしたら「死ぬこと以外かすり傷」の人も本当はこういうことが言いたかったのかな?という好意的な解釈が一瞬頭をかすめるくらい。まあそんなことは絶対ないんだけど。


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最近めっきりテレビを見なくなって息抜きの動画と言えば専らYouTubeばかりになった。芸人チャンネルとかゲーム実況とか、あとぴよぴーよ速報とか見てる。純正YouTuber(?)はあまり見ないけど、フワちゃんやCABHEYなんかは結構好きだ。
テレビ番組もクオリティーとしてはそれぞれのプロの仕事という感じで悪くはないんですけど、やはり本数が限られるため自分の趣味にピンポイントで合うものが少ない上に探すのも面倒くさい。検索エンジンも無いし。あと長い。あとスマホで見れない。そして何より…視聴者コメントがない。


視聴者コメントの面白さというのを知ってしまうともうテレビには戻れないな。YouTubeの動画も、自分は半分くらいコメント目当てで見てる気がする。同じものを見た他の人の感想を大量に一覧できるのはすごい面白い。


それに私の感触で言うとYouTubeのコメントってTwitterの50倍くらい感じ良い。Twitterってやっぱり演出欲が強い人やインテリ崩れの人とかが目立ってしまう世界だから浮いてる言葉も垢だらけだが、一方YouTubeのコメントというのは結局その動画に辿り着いた人達の内輪のコメントであるし、それでいてアカウントの匿名性も比較的高いので、皆わりと素朴で衒いのない市民的感想を書いてるように思う。それが良い。素直に納得出来たりクククと笑えたり思いがけず胸に響いたりするコメントにも、結構な頻度で遭遇する。


ただ自己演出意識が薄い分、攻撃する時は本当に容赦ない一辺倒の罵倒や嫌がらせになるからそこは諸刃の剣だろうけど。猫動画とか料理動画とかYouTuberの動画とかは、荒れると確かにかなり酷い有様になってますよね。動物動画のコメント欄のあの独特の緊張感は何なんだろうな。猫ババアみたいなの多すぎる。猫には優しいけど人間には全然優しくない…笑


インフルエンサー系統のYouTuberのコメント欄は、取り巻きや金づると言われるような人達の思考の一端を観察できるという意味では面白くもある。だがそれ以上にげんなりするから何度も見たいとは思わない。
アーティストの公式チャンネルになるとそういう搾取構造の気味悪さはなくなるが、やはりファンによる過度な礼賛が多いのでコメント欄は好きじゃない。前に宇多田のなんかの動画でも「どうしたらこんな良い子に育つの?」みたいなコメントがあってゾッとした。


結局自分にとって一番コメント欄が丁度良いのは芸人チャンネル、特にスベリ芸系統の芸人のネタ動画のコメント欄だと気付きましたね。ハンバーグ師匠のネタ動画とか流れ星ちゅうえいの替え歌動画とか。動画自体も面白いが、こういうののコメント欄見てると「みんな面白いな」って感心してしまうし、面白い(FUNNYの方)と思うものを人と共有できたことへの高揚を感じる。それはなにやら原始的で、漲るような嬉しさだ。



…とはいえ自分は大多数の視聴者同様YouTubeの動画にコメント書いたことないし書こうと思ったこともない。この唯一かつ最大の箇所において、あのコメント欄にいる人達と自分の間には大きな川が流れてる。それを思うと不可解なもんだと思う。


彼らだってプラットフォームが変われば違うことを書いたりするんだろうか。Twitterともインスタとも層の被りは当然ある筈なんだから、「市井的で良い」と私が喜ぶYouTubeの人達も、Twitterだと大して興味もない炎上事件に蚊帳の外から一家言呈したりしてんのかもしれない。考えてみれば私の方も前提としてTwitterよりYouTubeの方を好意的に見ている訳だから、同じことを書かれても媒体によって感じ方がまるで異なる。人にはいろんな顔があると言うより、状況が人をいろんな顔にするってやつかな。



9/5追記

YouTubeつながりで、前に知人との話に出たことをちょっと思い出した。
村上隆(アーティストの方)がYouTuberと積極的に交流したりしているらしいのだが、それはなぜかというと、「YouTuberの象徴的な行動として、高級品を買ったとか、月の稼ぎが最大いくらだとかいうことを動画内で見せつけたり、ファンに金をばらまいたりする。それはアメリカにおける黒人の動画に似ている。金銭でしか人を振り向かせることができない、文化的底辺の位置。しかしそういうところから生まれる文化もあるし、自分はそこにシンパシーを覚える」のだそうだ。
YouTuberがやりがちな高額品動画って「いけすかない」くらいにしか思っていなかったが、そういう文脈で考えるとなかなか感慨深いものもある。