ステイ クローズド

だいたい悪態です。

赤の他人ファイト

ブチギレ花火、中から見るか外から見るか。
5月からTwitterを始めたらしい川上未映子のとあるバズツイートが目に入り、それが何やら面白かった。

ジムのエレベーター。老人男性、老人女性、私の順で乗り。すると男性が「三階!」といきなり偉そうに命令したので「自分で押せよ」と言ったら予想外だったのか壮絶に狼狽。しかし私も三階なのでそのまま睨み合いの塩梅に。最終的に老人女性が押してくれたけど、あれ二人だけやったらどうなったん…

でもこれは公共空間あるあるです。前も予約ボードのところにいたら「ペン!」って当然のように言うので「あんたの部下じゃねえんだよ」って言い返したらこの時も倒れそうなくらいに狼狽した。自分より若い女性は誰でもどこでも遣っていいし従うと思ってる。そんな訳ないだろ。世間知らずの成れの果て。


Twitterってよくスカッとジャパン的な紋切り型の嘘(事実を織り交ぜた創作劇)が散見されるし、高齢男性の老害ぶりにギョッとするというシナリオも最近のインターネット=バズ=セオリーに則った典型だが、これは流石に実際にあった出来事を書いてるんだろうなと思う。ちゃんと一人称のリアリティーと気骨があるし、そもそもTwitterで嘘書くようなレベルの人ではないし…何より本当にこういうことしてそうだし。


上記ツイートは現時点で13万もいいねがついて(Twitterってこんなに人いるの?)界隈内外で称賛されているが、この系統のツイートあるあるで案の定リプライ欄は地獄の合戦場になっていた。あそこにいる人たちって体面で会ったら一体どんな顔してんだろうか。


川上未映子は個人的には現代小説家の中でもトップクラスに嫌いな作家。思想というよりは文体がどうも受け付けない。でもこのツイート見かけた時は「この人やっぱり実生活でこういうことしてるんだ」と改めて実感させられてなんかちょっと笑っちゃった。それっぽすぎて面白いというか、やはり期待を裏切らない大物感はあり、他の一般人のこの手の出来合いツイートとは一線を画してる。ちょっとこの現場居合わせて隅の方であわあわ困惑してみたいとすら思う程。ていうかジム行ってんだ。ぽいわー、ぽいぽい…。


7/10 追記
こんなこと書いてたら昨日また似たようなバズ発生してた。思うんだけど女性って概して「報われない労働」に敏感だ。疲労をどこか神聖視しており、疲れた人が偉いからより疲れる方の選択肢を自ら選ぼうとする。結果「ちゃんと」疲れるが、思い描いていた偉さが手に入らない時、疲れをアピールするためドヤ顔になったり。それはユダヤ的でもあり労働価値説的でもあり…。こういう疲労の捉え方はたまに愛情にも置き換わり、報われない愛の神聖視とつながっているかもしれない。


とはいえ読書感想文風に自分の身に置き換えて考えてみると、自分ももしエレベーターで出くわしたおじいさんに「3階!」といきなり命令されたら普通にムカつくし、家に帰ってからその老人をシーシュポスの神話みたいな労働(7/10追記:まさに報われない労働)に就かせる妄想をして1人で苦笑くらいはするかもしれない。でも実際の現場での行動としては多分命令に応じて「あ、はい」と言いながら3階のボタン押してしまうと思う。やっぱり大抵の人間って赤の他人にそんな咄嗟に怒りをぶつける準備できないのだ。これが弱さなのか強さなのか抑圧なのか理性なのかは、人によって呼び方が違うだろうが。


予期せぬ出来事に対して瞬時に怒りを露わにできる人というのは、多分普段からそのことについて常々怒りを抱えていて、虎視眈々と(?)発露の機会を伺っている人だ。いわゆる地雷ってやつ。そういうものは私にもある。川上さんの場合は老人男性が自分より若い女を部下のように扱うことに対して常日頃から激しい憎悪を抱えていて、しかも人並外れて気も強いから、思いがけずそのような出来事が我が身に降りかかってきた時でも待ち構えたかのようにすぐに怒って見せることができるんだろう。加えてその後自分の公式Twitterで報告までするんだから見上げた根性だよね。大抵の人はこのレベルの強靭な精神力など持ってないので、似たような場面に遭遇してもちょっと虚を突かれたような間ができて、怒りを覚える隙もなくあれよあれよと応じてしまったりするものだ。そして後になってじわじわ怒りが追いかけてきたり。


でもたとえ怒りを瞬時に覚えたとしても、それを赤の他人に直接ぶつけられるか、られないかって、我々人間という血管のひとつの大きな分かれ道ではないかと思う。流石に対面でブチギレる人ってなると川上さん級に気の強い人とか、それなりに年齢重ねた人だけに絞られるだろうが、舞台をSNSまで広げてみれば、見知らぬどっかの誰かの発言に急に噛みつく人って案外そこらにもいるようだ。ちょうどこのツイートのリプライ欄みたいに。そしてこれができるかできないか左右するのは実のところ正義感や断罪欲などではなく、結局は他人への気安さ、カジュアルさ、恐れの無さにあるように見える。


店の人とかすれ違った人とかに不遜な態度をとられることってたまにあり、度が過ぎてるとこちらも内心ムッとはするが、それを態度に出してやろうとは思わない。普段からわりと怒りと憎悪にまみれている方の人間だと自負しているが、それでも見知らぬ他人にちょっと不当に扱われたくらいだったら、憤って直接叱りつけたり物申したりするなどまずあり得ない。それは赤の他人に怒っても仕方がないとかの理由も0ではないが、そんなことより怒っている一個人としての自分の顔、自分の言葉を見知らぬ他人の人生にわずかなりとも印象づけてしまうことが薄気味悪くてどうにも嫌だ。他人の人生に不要に自分を登場させるなんて気持ちが悪く…お互いストレンジャー同士でいられるのならそのままの方がずっと良い。0を1にするような要らぬ侵入、要らぬ介在はなるだけ避けたい。それは自分の飢えた功名心とは別のところで働いている、プライバシー観としての感情だ。


こういう抵抗感——言うなれば亜・ソーシャルディスタンス感が薄い人はたとえ赤の他人相手だろうとブチギレる時はブチギレるんだろうな。その方が自分の尊厳は守られるし間違いもどんどん矯正だか粛清だかされて世の中はより良くなるのかもしれないけど。いや…。


それにしてもこの老人男性たち、川上未映子にキレられて「壮絶に狼狽」していたり「世間知らずの成れの果て」とか評されたりしてることを考えるとなんかちょっとコミカルな悲壮感が付与される。実際出会ったらムカつくだろうし身近にいたら悩みの種になるのだろうが、こういう「時代遅れ」と言われてしまうような人達って遠くで話聞いてる分には代えのきかない哀愁があって嫌いじゃない。ちょっと可哀相だなと思う部分もある。有害極まりないといっても、人の有害さというのはすこぶる私的でうねりうねった四次元超多面体…であるからにして、迂闊に触る覚悟もない。


しかしこんなつまらない億劫などかなぐり捨てて一も二もなく非難しなければならない、本当に切実な問題を前にした時、自分に一体何ができるというのだろうか。どこの誰とも知らぬ他人に、それでも叱責しなければならない時。来てしまったら白日の下にさらされるだけ。隣のアパートから母と子どもの金切り声が聞こえてるのに、通報もせず「捕まるといいな」と思ってる、そういう人間であること。