取らぬ狸の胸算用

思い込みが激しい

YouTubeって難しい

3週間前くらいからYouTubeをよく見るようになった。

 

きっかけは今大ハマり中の「ゼルダの伝説 Breath of the Wild」の攻略動画を見ようと思ってYouTube検索したこと。攻略だけ見るつもりだったのに、思いのほか面白い実況動画がいっぱいあって、あれよあれよと関連動画をクリックしているうちに本格的にYouTubeの森に迷い込んでしまった。

 

いや迷い込んだといっても、「ヒカキン」と「もこう」と、ゼルダの実況とかやってる「としょ子」 くらいしかまだちゃんと見てないけど。あと元々見てる「よゐこの〇〇生活」。

 

でもYouTubeもやっぱ便利で面白いね。

いつでも好きな時に好きなように時間区切って見れるし、投稿者と視聴者とコメント者(?)それぞれの関係が全部フラットな感じが楽で良いな。あと投稿者が基本的に陰キャなのも安心できますね。もう際限なくめっちゃ見ちゃってる。特にゼルダとか任天堂ゲーム関連。面白い…。

 

ただ、想像以上にピンキリの世界なんだと実感。

陰キャという言葉あんまり好きじゃないけど…。「陰キャ」の良いところが詰まってる動画はYouTubeならではという感じで楽しく見れる一方で、陰キャや偽陰キャ・中途半端陽キャの良くないところ、気持ち悪いところが煮詰まっている動画もかなりの割合で存在する。そういう動画を見てしまった後の、あの気持ち。

例を挙げると『女性YouTuberが選ぶ、男性YouTuber好感度ランキング』みたいな動画。「YouTubeやっといて結局内輪の格付けかい…この…半端者ッ‼‼」っていう。ちょっと理不尽かもしれないけど、そういう怒りと嫌悪感と遣る瀬無さで立ち尽くしちゃう。

要するに、YouTubeだと作り手の自己欺瞞がありありと浮かび上がっちゃうことが結構ある。

 

YouTubeのダメ動画とテレビのダメ番組の違いはそこかもしれない。

テレビって何となく「半端」はないじゃないですか。やっぱりプロのエンターテイナーが集まって試行錯誤して作り上げてる訳だから。ダメな番組もちろんたくさんあるだろうけど、「フェイクの気持ち悪さ」みたいなのはあんまない。

もうちょっと言うと、欺瞞自体はたくさんあるんだけど、自覚的にやってるんだな、っていうのはそこかしこから伝わってくる。坂上忍を昼帯のMCにするとかね…。常人の感覚だとそれは完全にアウトなんだけど、まあ、いろいろな思惑が絡まり合ってそうなっているんだろうなというか、「ただ自分たちが気持ちよくなるためだけにフェイクを作ってる訳じゃない」というのがわかる。だってテレビ番組だから。大きな組織が大きな組織の力を借りて、綿密に人を采配して…。そういう幾重もの要素が作用して結果的にこうなったんだな、というか。

まあそういう複雑さと規模の大きさがダメ番組のダメさを更に重大にするので、そこが余計アレなんだけど。

 

ただYouTubeの動画だと、基本的には1つの動画を1人のYouTuberが作る訳だから、その動画に不整合や気持ち悪さを感じたらもうそれはそのYouTuber自身の問題としか捉えられようがない形で際立つし、実際にYouTuber自身の心の不整合や欺瞞なんだと思う。その人間らしい素朴な「洗練されてなさ」が好きな人は好きなんだろうけど…。

自分はああいうタイプの未熟さに結構反感を持ってしまうから、あのYouTube特有の気持ち悪さを1回感じちゃうと、もうそのYouTuber見れないな。でも多分みんな同じだよね。そしてこうやってYouTuberが選別・淘汰され、結局は素直で愛嬌のあるYouTuberがYouTube界に君臨していくということなのだろうか…。

 

わからない、3週間じゃ全くわからない…。

でもちょっとYouTubeにハマって、さすが奥の深い世界だなーと片鱗を見た気がするので、これからもっとウォッチしてみたい。

 

特に何が言いたいという訳でもないけど、YouTuberも難儀だねという話でした。

YouTuberに限らずセルフプロデュースって誤魔化し効かなくて大変だな。

 

 

というか1か月くらい前から「女の壁は女」って雑記の記事を書こうとしてて、下書きをずっとチビチビ書き進めて暖めてんだけど、暖めすぎてもう訳わかんなくなってきている。

そっちもちゃんと書いて来週あたりには載せたい。頑張ろう。